4.11.13

『住宅とは何か』、開沼博『漂白される社会』

 アトリエ・ワン、青木淳悟、五十嵐太郎、石上純也、乾久美子、植田実、菊池宏、北山恒、隈研吾、塚本由晴、富永譲、中井邦夫、中山英之、西沢立衛、長谷川豪、藤本壮介、藤森照信、堀部安嗣、八束はじめ『住宅とは何か』

X-knowledgeという建築系出版社の刊で、インタビューや対談を主とした構成。
若手建築家へのインタビューのなかで、菊池宏や の謂いは興味深かった。
菊池宏は、東京のジャンク化した風景の整理を課題として掲げたうえで、
こんなに汚い東京でも光だけはちゃんと入ってきてくれて、やっぱり大事にできる
と、スイスにいた経験から日本の都市を語る(p.101)。
商業施設の内装デザインを長く担ってきた乾久美子は、
「商業建築は非商業と徹底的に違う点があって、それは人間を動物扱いするすることがあからさまだということです。商業空間のなかで人は無茶苦茶視野が狭くなっていて、気になる商品以外は何も見ていない。人に見られていることなどすっかり忘れてしまって、本能の赴くままというか、理性的とは言いがたい行動を皆とってしまっている。商売している人はそうした本能を捕まえるプロみたいなものでして、オトリ漁みたいに餌としての商品をバラまく方法を知っているんです」(p.107)
と語る。
五十嵐太郎、中井邦夫のようなプロフェッサー・アーキテクトの言も
建築史の文脈をきっちりと捉えていて読み応えがあるが、
それ以上に、実感の伴う言説は重い。



 開沼博『漂白される社会』

この本は、現代社会で見えなくなりながらも確かにする周縁に材を取り、
それらが社会外から社会内部へと溶け込みつつ潜在化する現象を「漂白」と定義する。
そして、綿密な取材をしつつ、従来から現在の形へと漂白された推移を分析する。

まず、文体レベルでの感想。
読み進めながら、どうしても週刊誌的な文体に馴染めなかった。
頻繁に改行し、一つ一つの文章は短く反復的で、描写と推論の癒着した文体だ。
著者自身はこの文体を次のように述べている。
ある種の「物語仕立ての文体」を採用することで、学術的な手続きが十分になされていないと指摘されるかもしれないが、こうした形式によってこそ、「周縁的な存在」のそれぞれが持つあり様の詳細をより豊かに伝えられると考えている」(p.75)
だが、物語仕立てのナレーションが肥大し、読者が想起すべき抒情を持ち去っている。
いわば過剰で自由度のない劇場型の文体に、どうしても読めた。
もっとも、このことは、完全な全体図を提示できないがゆえ、
語り手による捕捉や解釈が不可欠だったということなのかもしれないが。

続いて、内容レベルでの感想。
売春島、ホームレスギャル、シェアハウス、生活保護、
売春、違法ギャンブル、脱法ドラッグ、右翼団体、左翼過激派、
偽造結婚、ブラジル系移民、中国エステの、12のトピックが扱われている。
いずれにしても、日常の社会のすぐそばにあって、
それでいて実態どころか存在すら見えてこない。
深く切り込んで取材していて、面白かった。
また、社会の風景を何気なく眺める視線が、
無意識に社会外を斬り捨てて見ないようにしていると、気づかされた。
人は都合のよいもの、解釈可能なものしか見ない。