23.12.16

丸山眞男『軍国日本の論理と心理』、ル=グィン『夜の言葉』、芥川龍之介『杜子春』、宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』、堀辰雄『曠野』『かげろふの日記』、バルザック『ゴリオ爺さん』

丸山眞男『軍国日本の論理と心理 他八篇』

岩波文庫版。
もともと、抑圧移譲体系についての表題作のみ読むつもりだったが、
どれも面白く、結局すべてを読み進めた。
文体は精緻で硬いが、数式のように読みやすかった。
視点は日本軍国主義からファシズム(ナチズム、マッカーシズム)、
そして世界情勢へと拡がりながらも、
思座は常になぜ個人が不可避的に組織形態へ取り込まれるかという点にある。
だから、組織のありようや動向はもちろん、背後の精神性や時代も含めて、社会が多面的に描き出されている。
この普遍性は、現代への視点としても機能するはずだ。
いずれ、気になって箇所を中心に読み返したい。

アーシュラ・K・ル=グィン『夜の言葉』

岩波現代文庫版。
SF、ファンタジーを中心とした文学についてのエッセイ。
文学の生成論や物語の社会的役割について、
とても深い洞察があったので、いくつかメモを取った。

芥川龍之介『杜子春』

青空朗読版。
「トロッコ」と何となく似ている気がした。
はじめ主人公は現実への厭悪を持っているが、
物語の進行を経て、現状認識が暖かく異化される、という主題が。
この構造は『ライ麦畑でつかまえて』的だが、
主人公の成長が描かれているわけではない。
結尾で主人公はいわば振り出しに戻っている。
そこには、序盤の杜子春が金満と貧困を行き来するのと同じ輪廻がある。
人は人生のなかで、どうやって輪廻を肯定できるか、
その問いへの一つの解法のように読めた。
人は永劫回帰の中でただ現状に寄って立つありがたみを感じよ、と。
成長などという虚構はない、行きつ戻りつがあるだけだ、と。

宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』

青空朗読版。
それにしても、なぜ動物たちはゴーシュにかくも親身なのか。
この作品が童話だということを照らして、
主人公(=読み手の感情移入先)は、本当は動物たちではないのか。

堀辰雄『曠野』

青空朗読版。
女がなすすべなくゆっくりと落ちぶれてゆく様子の果てに、
ようやく夫と偶然にも再会できた、その儚さが、
一途さの美しさというものを切なくきらめかせる。
これだけの、物語の筋を追ってもあまり意味はない短篇だが、
それだけに、細部が全体を見通し、全体が細部に行き渡っている、
そのような高純度の美しさとその余韻があった。

堀辰雄『かげろふの日記』

青空朗読版。
藤原道綱母『蜻蛉日記』を材に取り、
愛の感情をこじらせにこじらせる男女関係が
どこまでもねちねちと描かれる。
コンスタン『アドルフ』を思わせる、まさに心理小説。
いや、それよりも徹底しているかもしれない。
夫が別の女に産ませた子が早死にしたと聞いて喜んだり、
道綱が淋しそうにする姿を見つめたり、
西山に寺籠りしたりするほかは、
特に劇的なシーンが起きるわけでもないのだから。
ただひたすら、夫への愛の拗れに拗れた恨みが描かれる。

結末、もう離れられる間でなくなって、
互いへの想いに苦しい夫婦のさまが、なんともいえない。
しみじみと夫婦愛を味わえるかもしれないし、
人の世の寒々しい宿命めいたちっぽけさも思わせる。
でも、それこそが愛の美しさだとも感じた。

オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』

光文社古典新訳文庫版。中村桂子訳。
小説らしい小説が読みたくて、バルザックの人間臭さに手を伸ばした。
バルザックの代表作の一つというだけあって、やはり面白かった。
主人公のラスティニャックの若さ漲る猛進ぶりと、
いい意味でまだ無分別な実直さが、
社交界(="le monde"="世間")の常識を問いただす。
その書き手のスタンスは、印刷業の隆盛期だった当時、
文学は一つのジャーナリズムであるという作家の自負でもあるに違いない。
その一つとして、貴族の資金繰りがしばしば描かれるが、
その裏側が「ゴプセック」で描かれていたとおりで、
人間喜劇の壮大な舞台でのつながりもまた面白い。