3.9.10

武蔵野輪走記

 9月1日 東京都心縦断

9時前に横浜を出発し、国道1号線沿いに北上。
池上本門寺にて、一般公開していた松濤園を見学。
国道に戻ってさらに道行きを続ける。
町並みが高層ビルを孕み始め、高層ビルばかりになり、
さらに高層化しつつ道路が太くなり複雑に交差を始める、
有機体のような街の深部へと走る。

桜田門から内堀国民公園へ入って一休みし、
大手前から御茶ノ水へ。
体裁がまるで寺の湯島の聖堂を見学し、
名がなければ見向きもしない昌平坂を通る。
外堀通(都道405号線)を西へ向かい、
水道橋から白山通り(都道301号線)を北へ。
東大本郷キャンパスでの食事は、
学食でのカツ丼に個人的な思い入れがあるので、カツ丼。
東北大の方が量も多いし安いし、美味だ、と思った。
七大戦の幟が立っていた。今年は東大での実施か。

本郷通り(都道455号線)を北上する道には、思いのほか寺が多い。
千代田城の北東の鬼門を塞ぐべく、昔は寺内町だったのかもしれない。
小石川で不忍通り(都道437号線)へ入って南下、護国寺を見物。
徳川にしろ宮家にしろ、庇護を受けた寺社というのは
正統派の構えのためか見所は少ない。

首都高速5号池袋線の下の道路を走って
東池袋を通って明治通り(都道305号線)を北へ。
サドルと体重に挟まれた臀部と、
前傾姿勢とハンドルの隙の掌が、共に痛くなる。

王子駅手前の飛鳥山で、渋沢史料館が有料というのに失望してから
北本通り(国道122号線)に沿ってひたすらペダルを漕ぐ。
赤羽岩淵から環状八号(都道331号線)に入り、高島平を目指す。
しかしうまく都営三田線に沿うことが出来ないまま東武東上線を横断。
ようやく軌道を修正して沿線上を北上、成増に到着。

まだ時間があったので、埼玉県和光市から
県道88号線に沿うように走り、荒川の土手へ。
夕陽はそこから眺める中で地平の平たい山々に沈んだ。
風が心地よかった。

走行距離75km。


 9月2日 埼玉県中部の田園と川越

成増駅から東武東上線森林公園駅(埼玉県比企郡滑川町)へ輪行。
森林公園緑道の自転車道に沿ってから森林公園南入口で折れ、
県道307号線に入って森林公園中央入口を横切る。
森林公園の敷地面積の広さに驚く。
そのまま東へ向かうつもりが県道391号線へと
入ってしまい、東松山市中心部へ至った。

吉見町にある岩室観音堂と吉見百穴を見物。
吉見百穴は古墳時代の横穴で、第二次大戦中は
遺跡を破壊して地下軍需工場が建設されたところ。
明治の最初の調査では、土蜘蛛人の
住居跡などという珍説があったらしい。
ヒカリゴケも自生しているらしく、覗いてみたが、
光っていると云われれば光っている気がしないでもない、
まぁその程度のものだった。

国道407号線、一部で県道27号線を通って南へひた走る。
道幅が狭い上に産業道路化しており、
自転車にとって走りにくかった。
県道256号線に入り、田畑と集落の隙間を縫うように迷いながら
順調に川越市街へ向かう。
集落内の少なくない家々が家紋の入った土倉を有しており、
江戸時代に商品作物で財を成したのだろうか、と勘ぐってみた。

中仙道のバイパスとして賑わった川越街道の終着点の川越は、
小江戸として町屋や蔵造りの並ぶ街並みでも知られる。
高麗通り(県道39号線)から市街地入りし、
菓子屋横丁を歩いて通過、川越氷川神社で休憩。
南下し、街並みを見ながらさらに進む。
大正ロマン通り、なんてのもあった。
寺社めぐりもそこそこに、川越駅から東上線に乗った。
ただし、乗るべき電車を間違えて、池袋をUターンして成増へ帰着。

走行距離45km。
この日に供されたスープカレーは、いつものどおり、
そしていつにも増して美味しかった。


 9月3日 野火止用水、多摩湖、所沢

埼玉県和光市を出発し、国道254号線に沿って朝霞市を抜け、新座市へ。
新座署の交差点で国道を離れ、
平林寺の脇を通って野火止用水に沿ってひたすら進む。
水道道路という名称で、交通量は比較的多い。
新座市から東京都東久留米市に入って都道15号線になる。
川崎市にある二ヶ領用水は知っていたが、野火止用水は知らなかった。
武蔵野台地の乾燥地には必需品だったのだろうという連想よりも、
野火を止めようというその名称の必死さを思い浮かべた。

都道15号線から新青梅街道(都道5号線)へ折れる角に、
東京ガスの運営する「がす資料館」というのがあったので、
休憩も兼ねて見学。「ガスピアノ」なる楽器と、
時代を見透かせる広告の変遷が、面白かった。

小平霊園の脇を抜けて、西武多摩湖線に導かれるようにして多摩湖へ。
東京水道局管轄の溜め池で、東京の水がめということになるだろう。
湖に沿って自転車道があり、楽しめた。

多摩湖と狭山湖はほぼ隣接するが、前者は東京都、後者は埼玉県の域内だ。
二つの湖に挟まれた西武球場の近くに、金乗院、狭山不動尊があった。
金乗院は丹や群青が鮮やかなだけでなく柱や塀に龍が縁取られていたりと、
変わった風貌の建物だった。
狭山不動尊は徳川家光の縁起。

県道55号線に沿って所沢市街へと走り、所沢航空記念公園へ。
日本初の飛行成功と日本初の飛行機事故の場所だ。
駅前のYS-11と記念館前のC-46を除いて見所はなかったので、
自転車置き場でサックスを吹き続けていた老人の脇で地図を見て出発。

産業道路化して大型車両ばかりがすれすれを通過する国道463号線を走り、
滝の城址公園へ行き損ねて通過した県道179号線、
再び国道463号線を経て、往路の国道273号線へ入り、南下して和光市へ帰着。

走行距離55km。

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