9.8.16

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』、岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史』、舞城王太郎『ビッチマグネット』

 サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』

一つの国の、あるいは一つの民族の歴史を壮大に語るためには、
リアリズムではなくマジックリアリズムで、
大人ではなく子供が語らなければならないのだろう。
国や民族そのものがフィクション性あふれる口承文学だし、
現実的というより幻想きらめく忘我の境地にあるから。
もし大人がリアリズムで語るとすれば、その記述はどんなものになるのだろう。
つまらない歴史書か、頑迷な解説文か、もしかすると奇妙に味のある物語か。
いや、理に貫かれた歴史とは、そもそも不可能かもしれない。

読み進めるうちに、ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』が念頭にあった。
子供が大人を相対化させながら饒舌に語り、ときに超能力で歴史の裏を動かす。
子供の限界が30歳と位置づけられていることに、驚きの共通点もあった。


 岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史 エリート開発主義国家の200年』

中公新書版。

歴史的な文脈なくして、経済発展の著しい国。
徹底的な効率主義と、明るい北朝鮮とされるほどの独裁政治。
マレーシアから1965年に独立してからまだ50年、
それぐらいしか教科書的な知識のない国であるため、
ひと通りの知識をと思い、読んだ。

中国、キューバ、北朝鮮のように、独裁政治はどれも、
革命後の人工的産物と思っていた。
しかし、シンガポールは漸進的な独裁政治への移行である。
国を挙げての経済発展が国家存続の条件という特殊性はあれど、
そのような過程があり得るということに驚いた。

実際に現地に行ってみて、どう感じるか、また楽しみだ。


 舞城王太郎『ビッチマグネット』

新潮文庫版。
舞城王太郎を読んだのは、『好き好き大好き超愛してる。』以来2作目だったか。
正直、語りの荒々しさと、技術的な"稚拙"さに理解できなかった。
が、当時、山田詠美が芥川賞選評で、
技術を全部取っ払ったような作品、というようなことを述べていて、
今回、今さらその表現に合点がいったような気がする。
そして、舞城王太郎のテーマはずっと変わらず"愛"なのだな、と。

登場人物を験すような書き方だから、
ストーリーは奇妙に遠景へずれ込むし、あとから追っても結果論的だ。
自然と刹那ごとが臨場感に溢れて、口語のスピード感のある文体もあって読みやすい。