・諏訪敦彦&イポリット・ジラルド『ユキとニナ』
子供が両親の離婚をどう受け入れてゆくか、になるんだろう。
母親の、そのことへの子供への説明や態度が、とてもフランス人的だった。
潔いくらいドライだが、だから子供の心にはけっこう暴力的。
あくまでも両親のことだから、そこに挟まれたユキの振る舞いが、
どうしても強制されたものになってしまう。
離婚の理由を問う手紙に泣かれた母を前にして、もう自分は泣けない。
日本にきて良かったかという母の問いに対して、「…うん」としか答えられない。
この言葉にならない立場の危うさの感覚、それがこの作品とその設定には豊潤だった。
上映後、諏訪監督のトークショーがあった。
作品への思い、脚本の即興さがどんなふうなのか、などが、
寡黙の奥から絞り出すようにして語られた。
だから重みがあったし、パフォーマンスではない正直な声だったと思う。
脚本には設定と登場人物の思い、そこから帰結されるかもしれない科白、のほかは
書かれていない、ということだった。
役を着た役者たちがどう振る舞うか、それは自由なのだ、と。
『M/OTHER』のカットの長さも、そうすると理解できるし、
一見何も起きていない、動きのないシーンも、
細やかな心境の動きとして保存されているのだな、と思った。
・アンドレ・ブルトン『ナジャ』
« Qui suis-je ? » に、語りは始まる。
動詞suisがêtreでもありsuivreでもあることが、
作品に深い深い主題を落とす。
「私は誰か?」と「私は誰を追っているのか?」は
両義的な違いなのか、本質的には同一なのか?
パリを彷徨し、ときには近郊へもふらふらと赴いて、
ブルトンはナジャを追う。
ナジャがいなくなり、はたと自分をも見失う。
次の女性と付き合ってナジャを意識から遠ざけようにも、
そのようにしてナジャの影を追っている。
夢幻の心地に茫然として書かれた手記のよう。
美しい、そして結びにあるとおり、CONVULSIVEな作品だった。
21.2.10
14.2.10
諏訪敦彦『M/OTHER』
同棲相手が元妻との子を家に連れてくる。
それがそれでうまく回ると、
男は無意識に「家」の主になってしまう…ということなのか。
M/OTHERってのは、子供から父親の同棲相手を見た微妙な立場のことと思ったが、
子供ができると夫からも同じような立場で見られる、
という閉塞の意味が隠されているのかもしれない、と思った。
閉塞…。
それが垣間見えてしまったから、二人の同棲生活はもう
もとに戻りようもなかったんじゃないか。
気づいたのは、1カットが非常に長いこと。
さらに、カメラワークも最小限なので、アングルが計算されている。
アンドレ・バザンの1シーン1カットの美学を継いで?
しかしそれは良い意味でドラマチックではなく、
ゆえに日常を日常感を失わずに映像に写しとれているように思う。
もっとも、間延びとも云えなくはない。観るのに集中力が要った。
それがそれでうまく回ると、
男は無意識に「家」の主になってしまう…ということなのか。
M/OTHERってのは、子供から父親の同棲相手を見た微妙な立場のことと思ったが、
子供ができると夫からも同じような立場で見られる、
という閉塞の意味が隠されているのかもしれない、と思った。
閉塞…。
それが垣間見えてしまったから、二人の同棲生活はもう
もとに戻りようもなかったんじゃないか。
気づいたのは、1カットが非常に長いこと。
さらに、カメラワークも最小限なので、アングルが計算されている。
アンドレ・バザンの1シーン1カットの美学を継いで?
しかしそれは良い意味でドラマチックではなく、
ゆえに日常を日常感を失わずに映像に写しとれているように思う。
もっとも、間延びとも云えなくはない。観るのに集中力が要った。
petite amie
Je sors avec une fille de dix-neuf ans depuis hier soir.
Je ne dis à personne où et comment nous avons rencontré.
Je ne dis à personne où et comment nous avons rencontré.
13.2.10
ポール・ハギス『クラッシュ』
良い映画……というか、良い題材ではあるけれど、
ちょっとあからさま過ぎるきらいがある。
それに、最後はなあなあの感がどうしても否めなかった。
子供に天使をかけるのはLos Ángelesだから? とすると、安直。
ちょっとあからさま過ぎるきらいがある。
それに、最後はなあなあの感がどうしても否めなかった。
子供に天使をかけるのはLos Ángelesだから? とすると、安直。
テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』
高雅の夢のあと。
プラトン的に追求する妄想に走るか、動物的に生きることだけを生きるか。
このそりの合わない二者の態度をめぐる、うるさくて哀しい喧嘩。
舞台はNouvelle Orléans、英語名ニュー・オーリンズ。
ブランチ(Belanche Du Bois)の元の農園の名称はBelle Rêve。
喧噪としみったれた下町は、その名もフレンチ・クオーター。
まさに、旧世界の思い出にはもう戻れないアメリカの土地。
欲望の電車は、そこへ向かうのか逃げるのか。
プラトン的に追求する妄想に走るか、動物的に生きることだけを生きるか。
このそりの合わない二者の態度をめぐる、うるさくて哀しい喧嘩。
舞台はNouvelle Orléans、英語名ニュー・オーリンズ。
ブランチ(Belanche Du Bois)の元の農園の名称はBelle Rêve。
喧噪としみったれた下町は、その名もフレンチ・クオーター。
まさに、旧世界の思い出にはもう戻れないアメリカの土地。
欲望の電車は、そこへ向かうのか逃げるのか。
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