デュラスのフランス語原文は端正でシンプルだと思う。
訳文では説明が盛り込まれ、修飾関係がぎくしゃくして、膨脹する。
どうしてもなんとなく読みにくくなる。それを除して読みたかった。
広島とヌヴェール(Nevers, Nièvre)の交錯が
迫る出発の時間の焦りとともに昂る。
駅でのアナウンス「広島、広島」がヌヴェールの景色で流される一景が、
読んでいて、その極みにあるように思った。
死んだ敵兵の恋人を重ねあわせ、それが目の前の日本人に生きてあり、
しかし自分はヌヴェールを背負って生きてゆく、訣別できない人生。
ありふれた、しかし身に刺さった過去が、女の長い独白に淡々と昂る。
文になりきれていない短い科白が、その反復が、原文の粋だと思う。
Je vois ma vie. Ta mort.
Ma vie qui continue. Ta mort qui continue. (p.78)
あるいは、
LUI ─ J'aurais préféré que tu sois morte à Nevers.
ELLE ─ Moi aussi. Mais je ne suis pas morte à Nevers. (p.96)
広島とヌヴェール、男と女、« histoire de quatre sous »と歴史的な事件、
現在と過去、…、の対比の搦みあい、というわけではない。
女にとって広島は地獄から蘇ったありふれた都市で、
ヌヴェールは辛い故郷として、しばしば廃墟の絵を伴う。
では、広島とは何か? « Hi-ro-shi-ma. C'est ton nom. » なのだ、と。
広島とヌヴェールの邂逅。
原爆という非人道の極みが、ここで、
敵兵と通じた女という、戦時中のありふれた事件と通いあう。
冒頭の、「知っている」「知らない」「見た」「見ない」の
ヒロシマをめぐるキャッチボールのような会話に、
ここでは風穴が開いている。
この交錯が、次第に融けあって恍惚を伴う感触が、
ヌーヴェルヴァーグの映画、ヌーヴォーロマンの文学、らしいように思う。
それを可能にする、記号かパズルの組み合わせのような文体。
15.6.12
9.6.12
森敦『意味の変容・マンダラ紀行』、六車由実『神、人を喰う』、上田秋成『雨月物語』
・森敦「意味の変容」
『群像』連載後、柄谷行人が筆者に掛け合って単行本化が実現したとのこと。
境界をめぐる概念の試考、といってよい。
著者が覚書で明かしているように、位相空間論の近傍概念がまずある。
円を描き、内部に境界を含めず外部に境界を含めるとすると、
内部は近傍として境界を認識せず、境界によって密閉されていないため、
全体であるように認識される、とする。
続いて、凸レンズを経た光の屈折が実像を結ぶ事象を、内外の風穴と見る。
「外部の実現が内部の現実と接続するとき、これをリアリズムという」、
そして「われわれのリアリズムは倍率一倍と称する倍率一・二五倍である」
と帰結すれば、もうここには物理学も論理学もなくて文学理論の話をしている。
話は無限級数のような謂いへ及ぶ。
数ヶ月先の返済とする約束手形、数年、……、死ぬときの返済とする約束手形。
ここに、歴史から哲学へと手形の意味が変容する、という……!
この文学論(?)は、物語の虚実を超越している。
文学性はそこにはないのだ、と。
このダイナミックな考え方に、無二の魅力を感じた。
・森敦「マンダラ紀行」
テレビの紀行番組の司会として、出羽三山、東大寺、四国八十八ヶ所を巡る。
密教の曼荼羅から万物を呑み込むようにして、
華厳経の一即一切、一切即一の境地に至る。
読んで思ったのは、意味の遍在だった。
大日如来を中心とし周囲に異教をも取り込んで
外部を徹底的に内面化する曼荼羅のように、
筆者の密教的思考は外部がなく、意味が充満している。
数学と同じくらいに精緻な理論体系をなしている。
・六車由実『神、人を喰う 人身御供の民俗学』
第三項排除による共同体の安定を目指す祭りの行為が、
かつては人身御供だったとする伝承を生んだ、とする
遡行的な解釈が印象的だった。
伝承(=語り)という意味でも、
「もう人身御供は行われていない」という救いがあってこそ
はじめて公に語り継がれるものになるのだろう。
・上田秋成『雨月物語』
面白いと思ったのは、
全話とも国内の具体的な場所を舞台にしているだけでなく、
登場人物がしばしば広域を経巡る、ということだ。
「浅茅が宿」で主人公は葛飾郡真間に妻を残して京へ上り、
木曽で盗賊に遭い、近江に滞在した後に帰る。
「夢応の鯉魚」は近江国三井寺の僧が魚になって、
竹生島や瀬田の唐橋など、琵琶湖の名所を読者にいざなう。
江戸時代、遊山が流行ったというし、地図ガイドも種々発行された。
そういう意味で、地名が一般人にとっても、
具体性を持って土地色や距離感のイメージを
伴うものになっていたのかもしれない。
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