3.4.17

三浦展・藤村龍至『現在知 Vol.1 郊外 その危機と再生』、宮澤賢治「貝の火」、薄田泣菫「利休と遠州」、芥川龍之介「六の宮の姫君」

三浦展・藤村龍至『現在知 Vol.1 郊外 その危機と再生』

NHKブックス別巻。
多数の著者、対談者の言説があって、面白かった。
団地に生まれ育った論者の言説はそれぞれ、
望郷の遠いまなざしと、少しずつ異なる原風景がどことなく入り混じっていて、
画一的とされる団地の多様性、あるいは団地受容の多様性を物語っていた。

郊外は戦後復興、高度成長という現代史を支えてきたなかで、
当初は文字どおり寝るためだけのベッドタウンだったが、
徐々に都心が多核化し、郊外は遠方の都心ではなく近郊の副都心への労働力供給へ、
軸足を移しつつある、という指摘がなされていた。
確かに、乗換駅はもともと郊外であったとしてもハブ化するし、
ロードサイド店舗の集中により副都心化する場合もある。
加えて、職住近接が比較的容易になったということだろう。

小田光雄の「(団地は)地方から追われ、都市に向かい、都市に住むことを拒絶された生活者たちの約束の地」という表現が紹介されていた(85ページ)。
団地に特有の逃げ場のなさ、漂白感、画一性は、確かに夢の地だっただろう。
が、そこは企業戦士たちの寮でしかなかった。住人の交流は競争意識的だった。
いまシェルター化した団地は、取り壊しを待つ古い自治寮に似ている。

都市開発と自治は結局のところ独裁のほうがうまくいくのではないか。
その意味で、ユーカリが丘や東急電鉄の事例は示唆的だった。
ユーカリが丘は山万が一体的に開発しており、
都市交通の運営、住居供給コントロールによる人口調整、
保育や介護の施設運営など、住民サービスを一手に引き受けている。
そのため、多くの業者が入り組んで身動きの取れなくなった団地一般と異なる。
たまプラーザ再開発の事例は、住民の参加があり、
計画に対する排他的な権力はいないにしても、
横浜市と東急電鉄の政策誘導は意地悪く見れば結論ありきの雰囲気がある。

宮沢賢治「貝の火」

喜多川拓郎による朗読。
勧善懲悪的な箴言のようなお話し。
特に、貝の火が時間差で毀れるということが、
もっとも作者が言いたかったことに思われた。

薄田泣菫「利休と遠州」
芥川龍之介「六の宮の姫君」

ともに海渡みなみによる朗読。

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