12.4.12

エリック・マコーマック『ミステリウム』、川上弘美『真鶴』

エリック・マコーマック『ミステリウム』

村の一事件をめぐる、ミステリーといえばミステリーの小説。
物語という強引な現実理解への疑問と省察が、根底にある。
それは、村人エーケンによって村荒らしの犯人と目星を付けられる植民地人カークと、
こんどは真犯人と自称するエーケンの自白の二重構造の間を、
語り手の新聞記者見習いが揺り動きながらおずおずと手がかりを探り、
取材の語りを生のまま呈示するというストーリー展開によって、進む。
補助線として、捜査を担当するブレアの犯罪学講義の言及する「新しい犯罪学」が
犯罪の分析そのものに主観を認めない方法へ新鋭化しているという言及が与えられる
(ソシュール以降の言語学の歩みに酷似した研究史が概説される)。

犯罪は動機から結末までを一本の論理で貫いて語りうるのか?
その疑問をめぐって、語りの論理を肯定したい語り手と、
否定したい行政官とが、結局は意見を違える。
私は読後、カミュ『異邦人』を思い出した。


川上弘美『真鶴』

失踪した夫のいない空虚を抱えて、
行き場を失った愛への折り合いをつけようと骨折る主人公の話。
語りが日常とも非日常ともつかない間をたゆたい、
平凡ながら決して平板ではない日常とその中の感情の含みが、巧い。
ぼそぼそとつぶやくような文体が時おり静かに熱を帯び、感情を迸らせる。
真鶴という場所の設定と描写だけがはっきりしていて、あとは曖昧糢糊としている。
だが逆に、何かありそうな予言めいた出来事と展開とともに、
真鶴での浄化が、海と岩海岸と静けさと賑わいとともに、美しく際立つ。

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