1.10.12
夏目漱石『硝子戸の中』、『それから』
夏目漱石『硝子戸の中』
『吾輩は猫である』をエッセイにしたような随筆。
随筆の醍醐味として、「私」というものが希薄であるからこそ、
著者の生活や死生観が生き生きと浮き上がる点にある。
それが、書斎の硝子戸から世と来歴を覗き見ながら綴る、という表題にも繋がる。
自分は文学研究者ではないのでよくわからないが、
自然のままという事態のままならなさというか、
生きる上でのそこはかとない不安というか、そんな感情が滲んでいるようで、
写真で有名なあの頬杖を突いた漱石の俯いた目線を、
読みながらしばしば思い出させた。
夏目漱石『それから』
裕福な実家に支えられてぶらぶらする代助が、
自分の結婚相手への強い意志を貫くため、親友とも実家とも縁を切り、
社会的に眉を顰められるべき掠奪婚を決める。
自らへの意志を尊ぶことが、客観的に見れば破滅的な方向へ走ることになる、
これがどのようにありうるのか、精神の逍遥が丹念に描写される。
漱石はこの自由意志に対して、積極的なのか消極的なのか。
しかしこの疑問は、小説(という形式)がこの問題へ回答の方向性を
棚上げにしたまま問いかけているということから、
あまり意味のないものなのかもしれない。
いや、大いに考えられるべき問題を、生のまま呈示している。
代助の友人に、もとはあった学問意欲が、
生活にまぎれて消えていった、という者が挿話的に語られる。
続く『門』の主人公がその位置になるのだが、
これは、文学部出身者の一として、そして社会人として生活に忙殺されつつある中で、
由々しき一事例として、常に念頭に置き、恐れ戦いておきたい。
青空文庫を電子書籍アプリで読んだ。
片手で繰っていくのも悪くないが、
ふと思ったページの縁を備忘に折ることができないのがもどかしかった。
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