16.9.12

根岸吉太郎『透光の樹』、森敦『われもまた おくのほそ道』


 根岸吉太郎『透光の樹』

高樹のぶ子原作の映画化。
千桐と郷の、中年の円熟したとも、若く急いで狂おしいともいえる
恋愛をのみ主眼に描いていて、その周囲がまさに背景でしかなかった。
あるいは生成論的に、ある種のリニアな進行といえるかもしれない。


 森敦『われもまた おくのほそ道』

松尾芭蕉『おくのほそ道』を、その経路を辿りながら、
組み立てられた構造を明らかにしてゆく。
森敦の明晰さには、ほんとうに驚かされる。

『おくのほそ道』は紀行文だ。
だがその中に、義仲、西行、杜甫・李白などを大いに織り込みながら、
陰陽、晴雨といった対応関係を織りなしてゆく。
この精緻な構造をなすために、
芭蕉は、訪れた順序を組み替えたり、
泊まっていないところに泊まったと書いたりしている。
フィクションすなわち文学なのだということを知らされた。

「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の「行く春」に始まり、
「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」の「行く秋」に終わってなお、
まだ「旅をすみかとす」る道は続く。

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