19.12.13

『共感覚の世界観』「弘前の秩父宮」『イタリア広場』『夢のなかの夢』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』『冥途めぐり』『わたくし率 イン 歯ー、または世界』

 原田武『共感覚の世界観』

心理学・行動科学的な書物ではあっても、
かつ文藝評論的で面白かった。
ランボーの「母音」をはじめ、
共感覚的レトリックの分析が散りばめられ、
それだけでも充分におもしろく読めた。

共感覚表現の方向性として、
転移は「触覚→味覚→嗅覚→視覚→聴覚→熱覚」の順に進む
(例:「暖かい色」(触覚→視覚)、「甘い声」(味覚→嗅覚))、
という言語学者ウルマン他の説が紹介される。
共感覚の幻想的な、現実の割れ目のような効果は、
五感の及ばないところに感覚を見出だそうとして立ち現れる。
また、尾崎翠『第七官界彷徨』を引いて、
思いがけないもの同士を結びつけ、私たちの日常に予期しない新しさと驚きを導き入れる
人間がすべてについて偏見を持たず、カテゴリー間にそれほど神経質ではなかった原初の世界」を垣間見せる、
そう共感覚的世界を表現する。

共感覚が商品開発に援用されているという事例も挙げている。
シリアルの砕く歯触り、飛行機内の香りと色の調和、などは、
ブランド確立のための相乗効果だという。


 茂木謙之介「弘前の秩父宮」

『歴史評論』(2013年10月)からの抜刷版。
副題は「戦中期地域社会における皇族イメージの形成と展開」。

あくまで憶測だけれども、1935〜1936年という時期が、
秩父宮が弘前においてシンボル化され、
かつ急速に歴史化されるという現象を生む上での、
大きな素地になっているのではないだろうか。
つまり、日中戦争前夜の軍事的お祭りムードが当時の日本を覆っていて、
秩父宮が弘前に軍人として赴任することが、
一つの時代の具現化だったのではないか。
というのは、大正期や太平洋戦争開戦後であれば、
おそらく少し違った受容が秩父宮に訪れたのではないか、そう考える。


 アントニオ・タブッキ『イタリア広場』(再読)

細部が語られない全体を語り、
語られた部分々々が間の語られない部分を大いに語る。
初めにエピローグが置かれるように、
そして、占い師ゼルミーラがいうように、時間の流れが幻想的。

文学は小説によって時間を掌握すべきだ。
詩のようなリズムではなく、歴史的な時間を。


 アントニオ・タブッキ『夢のなかの夢』

藝術家たちの見たであろう夢が、想像で描かれる。
気の効いた短篇集になっている。
ガルガンチュアとともに素晴らしい夕食を味わうラブレーの夢が、
一番気に入った。


 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

RPGかライトノベルか。これはもはや春樹でも小説でもない気がする。
村上春樹は細部の作りが細かいはずなのに、
ストーリーに引っぱられてそういったところは抑制されている。

この小説が何を言おうとしているのか。
それは、次の二箇所だと思う。
記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」(p.40)
人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ」(p.307)
これが、日本の戦後への村上春樹の問いかけであることを、
私は心から望む。

ちなみに、アカ、アオ、シロ、クロの四人の登場人物の色は、
庄司薫の四部作のそれぞれと一致している。
川田宇一郎の評論「由美ちゃんとユミヨシさん」の指摘がここまで及んでいる、
そう思った。
あるいは、穿ちすぎているかもしれない。


 鹿島田真希『冥途めぐり』

鹿島田真希の、思考の進行が行動を引っぱってゆくような、
そういったドライブ感は、少しだけ抑制されている。
こういうおとなしくなった小説が、芥川賞向けということなのかもしれない。
作者の私生活に基づいた小説だが、
惨めな家族という別の主軸がしっかりと打ち据えられていて、
その哀れさが痛々しいくらい滲み出て、おもしろかった。

併録作は、鹿島田真希らしい小品という感じ。


 川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』

町田康が女性歌手ならこんな感じなのだろうな、というのを地で行っている。
実際、歌手でもあるし。

町田康の主題は「生活」だが、川上未映子は「存在」と「身体」だ。
併録作も『乳と卵』もそうだが、川上未映子は終盤になって他者の目が割り込む。
『ヘヴン』ではその他者がいじめの側として大きく存在している。
「わたくし率 イン 歯ー、または世界」では、
起承転結の後半部を委ねるようにして他者がいきなり現れる。
他者は語りを終わらせるためのデウス・エクス・マキナのようだ。

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