KUNIO11「ハムレット」
杉原邦生・演出。京都芸術センターにて。
舞台は観客席側へ下る坂になっていて、装置はない。
舞台上で光る“THEATER”の電光は、
どういう狙いなのかよくわからなかった。
劇中劇であるということなのか、あるいは、
ハムレットの心境が多重で虚実入り混じっているということなのか?
ブザー音の多用がきびきびと舞台展開を動かすなかで、
ハムレットの苦悩とその言動はじっくりとこなされ読み飛ばされたりしない。
その作品への忠実さは好感が持てた。
逆に、周囲は平べったく映っているような感じを何度か抱いた。
森田真和の演技が素晴らしかった。
地点「ワーニャ伯父さん」
三浦基・演出。アンダースローにて。
原作をトポロジカルに組み換えたような演出。そんな印象を得た。
台詞と登場人物は保たれたまま、その配置はすでにアンチ=テアトル的だ。
舞台は、雑草の生えたグランドピアノと椅子と
地面に刺さったまま抜けない傘、そして扉があるだけ。
役者は開演前から位置についていて、思い思いに、
きょろきょろしたり、左回りに歩き続けたり。
そして、公演中、役者はほとんど舞台から消えない。
ワーニャ伯父さんとソーニャに至っては、グランドピアノから降りさえしない。
この閉塞感。
言葉の起伏が感情と結びついていない、機械っぽい台詞が繰り延べられて、
ストーリーは進んでゆく。
とはいえ、ワーニャ伯父さんとソーニャが取り残されるというだけの、
帝政ロシア期の貧農らしい、涙も枯れた悲しい現実があらわになるだけの物語だ。
それが明かされる終盤、この閉塞感と無感情な台詞とが、
渇いたため息を吐くほかない現実感と相俟って、
うんざりするような哀しい無感動として襲いかかる。
圧倒された。
sunday「友達」
ウォーリー木下・演出。伊丹AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)にて。
原作は安部公房。ストーリーは『砂の女』とびっくりするくらい似ていた。
序盤の、突然住み着いた家族と主人公とのやりとりが長く、
以降の進行がいきなりスピードアップしているような感じだった。
しばしば差し挟まれる躍りが序盤に集中していて、
それもやや退屈だった。
あと、主人公はうんざりしたような退屈げな声色のまま強ばっていたことが、
あまりいただけなかった。
徐々に状況に慣れさせられている感を表すためにも、
その異常時っぽい声は抜けていったほうがよかったのではないか。
陰の使い方は面白い趣向で、もっと洗練されれば効果的だと思う。
「現代演劇レトロスペクティヴ 日本の名作#2」ということで、
どんな作品がどれだけ続くのか楽しみ。
なお、次作は別役実。
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