磯達雄・宮沢洋『日本遺産巡礼 西日本30選』『日本遺産巡礼 東日本30選』
昭和モダン建築巡礼は日経ビジネスオンラインで連載されていたから、リアルタイムではなかったかもしれないが読んでいた。
菊竹清訓の「都城市民会館」や吉阪隆正の「大学セミナー・ハウス」は、
その思想に驚かされた記憶がまだ残っている。
それまで、「せんだいメディアテーク」が伊東豊雄の設計とさえ知らず、
鬼頭梓の「東北大学附属図書館本館」の暗い内部をバカにしていたほどだから、
この両名の連載が自分の建築好きを芽吹かせた可能性は高い。
さざえ堂は同じ一連の連載として読んでいたような記憶があった。
大湯環状列石や龍安寺石庭まで解説してしまうのだから、
建築というものがいかに人間の営みに深く結びついているか思い知らされる。
建築とは、空間を内外に分かつだけではない。
漠然として捉えどころのないはずの空間を人間が律する営みそのものだ。
だから、そこに美意識や思想が必ず現れるし、
それを読み解く批評眼が豊かであればあるほど楽しめる。
この連載は、建築物の構造、背景、歴史をすべてごった煮的に描きながら、
それを驚き、楽しみ、考えているから、読んでいて面白い。
元少年A『絶歌』
筆致は肌のようなもので、筆者のいろいろがわかる。そこそこの読書量、語りたい衝動、
客観的であろうとしてもなお強烈な自意識、しかし乏しい感情、
生へのためらいつつもはっきりした意思。
装い、本音。
元少年A……1997年に酒鬼薔薇聖斗と名乗った中学生だ。
それは結局わからない。
団地という漂白空間で、生命の不思議や人間関係の容赦なさを嗅ぎとる感性だから、
感じるすべてが鮮明に迫り来て、輪郭がぎらぎらして感じられるのだろう、
その芸術家肌の感覚を有しているらしいことが、やはり垣間見えたまでだ。
無論、当人は一生の罪を背負って、何かのせいにはできないだろう。
だが、本人の語りから、状況というか、何か透けて見えはしないか。
そう期待を込めて読んだものの、あまりよくわからなかった。
物語への意欲があることが、驚きだった。
苦しみの渦中を必死に生き抜いて、物語らずにはいられないのかもしれない。
また、言葉の未分のまま感じ取ることができず、掌中に収めたい願望が、
いまだ旺盛なのかもしれない。
が、それ以上に、読んでほしい願望があった。
確かに、上手に書けていて、読ませる。
個人の来歴だから、大きな物語では全くない。
かといって、私小説のような、見せつけるような下心ではない。
言葉で整理した身体が地にひれ伏すような、言外に常に釈明する下心のあるような、
そんな文章だった。
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