原題は« Tokyo Infra-ordinaire »。
ジョルジュ・ペレックの« L'Infra-ordinaire »にひっかけてある。
タイトルのごとく、東京の平凡な日常へと目を凝らす。
記述は入れ子状で、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を思わせる。
ただ、下位層は上位層への説明であると同時に、軽い反駁、自問、脱線だ。
ジョルジュ・ペレックの« L'Infra-ordinaire »にひっかけてある。
タイトルのごとく、東京の平凡な日常へと目を凝らす。
記述は入れ子状で、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を思わせる。
ただ、下位層は上位層への説明であると同時に、軽い反駁、自問、脱線だ。
訳者は「「カッコ」と「挿入」を多用し、濫用し」と解説している。
主題はまっすぐに進行せず、どんどん横滑りしてゆく。
主題はまっすぐに進行せず、どんどん横滑りしてゆく。
しかも主題はアジア都市・東京であるからすでに支離滅裂だ。
五感と筆の赴くままの語りが、不思議と都市によって織り成されている、
そのような感じの文章だった。
旅に行きたくなるような作品(小説? 随筆?)だった。
ルーボーは日本語を解さないため、
東京に満ちた言葉は音となり、文学の詩句へつながる。
また、山手線(と、一部で丸ノ内線)に運ばれてゆく視覚は、
おそらく万物が雑多にぶちまけられたカンバスのようなのだろう。
何に驚き、何に連想を繋げるかは、まさに作者の自由。
この筆のすさびこそ、旅そのものではないか。
0 件のコメント:
コメントを投稿