とはいえ、子は産まれていたし、嫁は退院していたから、
育児休業のほうが育児のあとから追いついたという実感だ。
さらに遡れば、だんだん大きくなるお腹のそばにいたし、出産に立ち会った。
育児休業の始まりにだけ区切りの実感があるはずもなく、
ここまで来たという道半ばの心地だ。
子育ての始まったばかりの今でさえ、2ヶ月のエコー写真で見た小さな姿や、
出産立会いでとうとう聞けた産声をしみじみ思い出しては涙ぐむ。
この先、たくさんの一つずつを経験して、あっという間なのだろう。
この先、たくさんの一つずつを経験して、あっという間なのだろう。
NPO法人 ファザーリング・ジャパン『新しいパパの教科書』
長期休業の最後に読んだ本となった。
子どもにとって、母親にとって、会社にとって、地域社会にとって、
という多元的なアイデンティティとしてのマニュアルだった。
特に地域社会との接点について、ぜひ積極的に関わってゆきたい。
「子どもは地域社会へのパスポート」(p.158)とはよく言ったものだ。
述べる内容はあくまで子育てをする父親の理想像にすぎないかもしれないが、
従来のパパ像へのアンチテーゼとみれば、強力な異議申し立てになっている。
従来のパパ像はどこへ巣喰うのか? 本人の胸のうちにほかならない。
実際に育児休業を取ると決めてからここまで、びっくりするほど風当たりは無かった。
あるとすれば、"何か"の顔色を伺って後ろめたいと感じている自分自身でしかない。
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