14.2.09

近況


NRJを聴きながら部屋の片付け。
手始めに大学の講義メモとハンドアウトの整理。
今後参照することなさそうなものを30%ほど削減。
孤独って、事実関係を抜きにしてもそう感じれば孤独なんだなぁ。
強い風とともに、仙台も暖かくなってきた。

曲。
サカナクション「セントレイ」
Unchain「Across the Sky」
Raphaël « Le Vent de l'Hiver »
Katy Perry "Hot'n Cold"
Alesha Dixon "The Boy Does Nothing"
Lady GaGa "Poker Face"
Antoine Clamaran "Gold"
上から三つ目の歌詞にある lettres jetés au feu が、
自分の場合は jetés au destructeur de document だ。

それにしても、片付けが遅々として進まぬ。
強風で洗濯物ばかり早く乾く。
20日に仙台を発つ。

11.2.09

塚本晋也『東京フィスト』 いかにして血を流すか/北野と塚本との暴力の比較

塚本晋也は東京を批判的に視ているのだなと思った。
無機的な街に殺されて妻をも獲られたセールスマンが
いかにしてその状況に立ち向かってゆくかを辿るとき、
不断の苦しみと、いじめのような鈍重な暴力が
やむことなく続けられる。
そうして、都市生活という埋没から少しずつ脱するように
他の者ではないという差異(個性)が浮き上がってくる。
対極にあるのは、没我、安楽、死、清潔、など。
そこから浮かび上がろうとする努力が、
死のすれすれの血みどろである。

冒頭の「こんなに近いのね」「でも、こことは天国と地獄ですよ」、
あるいは中盤の、主人公の父が「まったく苦しまずに亡く」なった、
これらが象徴的である。

暴力的。
その意味合いが、北野武の映画と塚本晋也のそれとでまるっきり違うのは、
北野は鋭利かつ瞬間的に描こうとし、
間合いや、緊迫、風景などの静謐で上品に包むのに対し、
塚本の暴力は持続的で即物的で、血腥い。
だから北野は銃を好み、塚本は肉弾戦を頻用する。
しかし、暴力性の現れが対蹠的であれ、その意味も相対するわけではない。
北野の暴力性はやはり静謐の緊張感を追求していて、
そこには漫才で多用される「間(ま)」の昇華が見られる
(同じく漫才師の松本人志も「間」を映画で描こうとしたがまるで能わなかった)。
一方で塚本の暴力は、その泥臭さの正反対である大都会のビル群への
アンチテーゼとして明らかに表れている。

9.2.09

市川準『トニー滝谷』

祖父が亡くなったので急遽帰阪、明日に仙台に戻る。

『トニー滝谷』。原作の村上春樹っぽさを残した文体のナレーションで、
村上春樹ってのは叙事詩だな、と思った。
短篇としては大昔、そうだな、六年ぐらい前に読んでいたが、
映画を観て、すっかり忘れていることに気づいた。
名前の由来からして人と人とのすれ違いと偶然からぽっと現れた、
そんな、来歴ともいえぬ出自をもつ一人の男が、
いかにして孤独を見出だし、生きてきたかが、
常に左から右へスライドするカメラワークにのって淡々と綴られる。
孤独な雰囲気が孤独を語るから、
孤独なんぞ何でもないというように物語は進む。
それが、一番つらく、一番心惹かれた。

4.2.09

石井克人『鮫肌男と桃尻女』


……。前半だるかった。ばらばらで個々ばかり際立ってて
統一感・リアルさがなかったし、
どうでもいい細部ばかりに手を回してかっこつけてた。
後半……。あーぁ、これは正直につまらなかった。

2.2.09

『あの夏、いちばん静かな海。』『山の音』


北野武『あの夏、いちばん静かな海。』

海岸の場面が半分ぐらい。行っては返し、行っては返し。
英語題A Scene at the Seaだからというわけではないと思うけど、
海のシーンはこの海岸線ひとつだけ。
海の波も、サーフィンも、ゴミ収集も、人の命も、
言葉もなく、その流れだけが寄せては返す。
冷酷だけど、あたたかかった。


成瀬巳喜男『山の音』

強烈だった。『東京物語』のような静かで辛辣な強烈。
たぶん、不和のきっかけはほんの些細なものだったんだろう。
でも、それの膨れてゆくのを、どうしようもできないもどかしさ。