16.5.08

赤頭巾ちゃん、ふたたび

No short-haired, yellow-bellied, son of tricky dicky
Is gonna mother hubbard soft soap me
With just a pocketful of hope
Money for dope
Money for rope

The BeatlesおよびJohn Lennonを久しぶりに聴いた。
音楽はそのときの気分が択ぶものだ。
暗い曲ばかりを流した。

『ライ麦畑でつかまえて』を時代の影響に結びつける人が嫌いだ。
ロスト・ジェネレーションだとかそういうたぐいの。
フィービーという妹なんて、現実世界にはたいていいないから、
だから人はこの作品が大好きなんだと思う。
私も含めて。

でも、そんな甘え?を中途半端だと思って、
窮極まで突き進まなければ気が済まなくて、
不条理文学にまで行き着いた。
ここからもはるかに長い道を、このまま行けば、
孤独にはなれる、でも、孤独には別の辛さがある。

丘の上の愚か者でいたい。

14.5.08

パリ・メトロの思い出を掻い摘んで

おもろいページを見つけた。
パリのメトロの駅風景と駅の外の周辺の風景、
さらには、(声は違うけど)駅名アナウンスまでしてくれる。
パリのメトロの雰囲気と思い出は充分すぎるほどリアルに反芻できる。
http://www.metro2003.com/metro/station/


初めてメトロに乗ったのは確か27/12/2007。
初めてパリに行った日だ。
メトロの切符代惜しさとパリの街を歩きたい気持ちから、
東駅からルーヴルまで、サン・ドニ大通りを歩きつつ、
怪しい街だな、と思っていた。
その界隈がパリ随一の夜の街と知るのは後のこと。

その日はパリ観光もそこそこに、
パリにあるとは名ばかりのボーヴェ空港から
バルセロナへと飛ぶことになっていた。
市庁舎のあたりからバスが出ているはずが、
ポルト・マイヨからと市役所で訊いて知って、
最寄りのオテル・ド・ヴィルからメトロに飛び込む。
しかも遅れまいとあまりに動転していたため、
料金一律なのに「ポルト・マイヨまでの二枚!」と窓口で急いていた。

バルセロナ観光を終え、大晦日の昼前に着いたポルト・マイヨから
パリを見て回るぞ、とまたもメトロに乗らずにホテルまで歩く。
凱旋門もアルマ橋もエッフェル塔も士官学校も過ぎ、
昼食抜きのまま午后二時になって、次第に士気も下がり、
ガリバルディ大通りのメトロ高架下から覗いたマクドを見つけたときの嬉しさ。

二月末、待ち人を迎えに行った。
アヴィニョン市街地から出発して、
アヴィニョンTGV駅→パリ・リヨン駅→メトロ→RER→CDG2→CDG1。
人の大波に呑まれそうなリヨン駅からシャトレ・レ=アルを経由してCDG2へ。
シャトレもレ・アルも別のメトロ駅なのに
RERでは同一駅なので、歩く、歩く、歩く。

時期かどうか知らぬがA線は混んでいる上に殺気立っていた。
フランス語でのやりとりの困難を含め、
どんなわずかな心配もさせないように心に決めていたのに、
逢う直前にRERの混雑に呑み込まれたのだから、
待ち人の観光中の一番大きな懸念は、メトロでの移動になった。
ホテルは20区のポルト・ド・モントルイユの脇で、
市中心部まで20分ほど9線で揺られねばならなかった。
それでも、幸いなことに何も厄介は起きなかった。
観光客でいっぱいになる時期の少し前を
一緒に過ごし、待ち人は朝に帰っていった。
その日は魂が抜けたようになって、
ルーヴル美術館のメソポタミア、オリエント美術をふらふらと見て回った。

東駅からレピュブリック広場に至る道を楽しむには、
アメリが映画で水切りをしたサン・マルタン運河に沿うのが正解だ。
三月、家族とオルセー美術館で落ち合うとき、
時間があったので東駅から運河沿いに歩き、
レピュブリック駅からバスティーユ、次いでコンコルドで乗り換える途中、
バスティーユ駅で電車が動かなくなった。
おかげで、国民議会駅で降りてから走る羽目になった。

家族はサン・ラザール駅周辺に宿を取っていて、
私が荷を降ろしたクリシーのユースホステルは、
パリ外という若干の不便さの予想とは裏腹に、
同じ13線で乗り換え不要という長所があった。
13線は北で分岐し、一方はクリシー、他方はサン・ドニへと向かう。
クリシーに泊まりサン・ドニ教会を観光して、
分岐の両方ともを制覇した。

カンからの帰路、同行のアルザシエンヌは、
その13線の南端のマラコフに住んでいたことがあると云って、
路線図を前にして、にわかに饒舌になった。

5.5.08

最近のめし


スーパーのイタリアフェアで売っていたイカ墨スパゲッティー。
茹でてボロネーズソースをかけたのみ。
色のコントラストが不気味で良い感じ。


見てのとおり、普通のインスタントラーメン。
具として入れた紫キャベツのせいで
麺が青みを帯びてスープがどす黒くなり、
器がなかったからグラタン皿を使っているというだけ。


定番となっているヴェルミセルのスープ。
こちらも紫キャベツのせいでエギゾチックだが、
そんなことは味には関係しない。


家でコース料理を、と思い立ったもののものぐさなので、
全部いっぺんに出して、食べる順番だけコース。
豚の肝臓のパテ、芽キャベツのスープ、コンテチーズ、
ボルドーの赤、そしてバゲット。
総額……2€ちょい。
反省点:今度はもっと美味しそうなパテを買おう。

4.5.08

好きな言葉、聖書から

持つ者は更に与えられ、持たざる者は持っているものまで奪われる。
On donnera à toute personne qui a, mais à celui qui n'a pas on enlèvera même ce qu'il a.(ジュネーヴ聖書教会版)
ルカによる福音書、19章26行。
これは、イエスがした一つのたとえ話のなかの言葉。
主人が留守中に、三人の僕に均等に金を託す。
二人は事業をやって稼いだが、一人は減ることを恐れて大事に取っておいた。
何もしなかったその者から金を取り上げ、もっとも稼いだ者に与えた。
その際の主人の言葉である。
ここで、金とは何なのか。
価値あるもの一般なのか、文字通り金銭のことなのか。
金銭が価値を示す抽象概念の具現化したものである以上、
どちらであれ同じことだが、
皇帝のものは皇帝に返しなさい。として貨幣経済を退け、
使徒言行録で言及されているように
原始キリスト教が共産主義的な集団であったのだから、
金銭を示しているのなら自家撞着的である、ということに
ひっかかった、というだけのこと。
数ある中で、ある一本の価値体系のみが
排他的であるまでに強く評価される世界。
原始キリスト教なら信者獲得だし、
中世なら神学体系への貢献度か何かだろうし、
現在ならもちろんカネ。
そんな非情な一元化を鋭く言及している。

よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな。
Ecoutez, mais sans comprendre; voyez, mais sans connaître.(クランポン訳版)
イザヤ書、6章9行。
信じる、ということの本質を示しているように思われる。
ある対象があって、それへの接近への切望と
理解への不可能性(断絶)とが、同時に存在するとき、
その存在をまるごと呑み込んで内部で保持することで、
全面的受容という理解の亜種(決して理解ではない)
を感じる行為が信仰であると、私は個人的に考えている。

すべては塵から成った。すべては塵に返る。
Tout a été fait à partir de la poussière et tout retourne à la poussière.(ジュネーヴ聖書教会版)
コヘレトの言葉、3章20行。
「コヘレトの言葉」は聖書の中では異色で、
厭世観と輪廻思想で満ちあふれており、
それを詩的な美しい文章で綴ってあるから好きだ。
思わず書き出したくなるような文章が多いなか、
とくにこれを選び出した理由はないが、
でも美しいでしょう。
コヘレトの言葉という文章自体も、
この書物が聖書に収められていることも、
共にヤスパース的であるように思う。