14.5.08

パリ・メトロの思い出を掻い摘んで

おもろいページを見つけた。
パリのメトロの駅風景と駅の外の周辺の風景、
さらには、(声は違うけど)駅名アナウンスまでしてくれる。
パリのメトロの雰囲気と思い出は充分すぎるほどリアルに反芻できる。
http://www.metro2003.com/metro/station/


初めてメトロに乗ったのは確か27/12/2007。
初めてパリに行った日だ。
メトロの切符代惜しさとパリの街を歩きたい気持ちから、
東駅からルーヴルまで、サン・ドニ大通りを歩きつつ、
怪しい街だな、と思っていた。
その界隈がパリ随一の夜の街と知るのは後のこと。

その日はパリ観光もそこそこに、
パリにあるとは名ばかりのボーヴェ空港から
バルセロナへと飛ぶことになっていた。
市庁舎のあたりからバスが出ているはずが、
ポルト・マイヨからと市役所で訊いて知って、
最寄りのオテル・ド・ヴィルからメトロに飛び込む。
しかも遅れまいとあまりに動転していたため、
料金一律なのに「ポルト・マイヨまでの二枚!」と窓口で急いていた。

バルセロナ観光を終え、大晦日の昼前に着いたポルト・マイヨから
パリを見て回るぞ、とまたもメトロに乗らずにホテルまで歩く。
凱旋門もアルマ橋もエッフェル塔も士官学校も過ぎ、
昼食抜きのまま午后二時になって、次第に士気も下がり、
ガリバルディ大通りのメトロ高架下から覗いたマクドを見つけたときの嬉しさ。

二月末、待ち人を迎えに行った。
アヴィニョン市街地から出発して、
アヴィニョンTGV駅→パリ・リヨン駅→メトロ→RER→CDG2→CDG1。
人の大波に呑まれそうなリヨン駅からシャトレ・レ=アルを経由してCDG2へ。
シャトレもレ・アルも別のメトロ駅なのに
RERでは同一駅なので、歩く、歩く、歩く。

時期かどうか知らぬがA線は混んでいる上に殺気立っていた。
フランス語でのやりとりの困難を含め、
どんなわずかな心配もさせないように心に決めていたのに、
逢う直前にRERの混雑に呑み込まれたのだから、
待ち人の観光中の一番大きな懸念は、メトロでの移動になった。
ホテルは20区のポルト・ド・モントルイユの脇で、
市中心部まで20分ほど9線で揺られねばならなかった。
それでも、幸いなことに何も厄介は起きなかった。
観光客でいっぱいになる時期の少し前を
一緒に過ごし、待ち人は朝に帰っていった。
その日は魂が抜けたようになって、
ルーヴル美術館のメソポタミア、オリエント美術をふらふらと見て回った。

東駅からレピュブリック広場に至る道を楽しむには、
アメリが映画で水切りをしたサン・マルタン運河に沿うのが正解だ。
三月、家族とオルセー美術館で落ち合うとき、
時間があったので東駅から運河沿いに歩き、
レピュブリック駅からバスティーユ、次いでコンコルドで乗り換える途中、
バスティーユ駅で電車が動かなくなった。
おかげで、国民議会駅で降りてから走る羽目になった。

家族はサン・ラザール駅周辺に宿を取っていて、
私が荷を降ろしたクリシーのユースホステルは、
パリ外という若干の不便さの予想とは裏腹に、
同じ13線で乗り換え不要という長所があった。
13線は北で分岐し、一方はクリシー、他方はサン・ドニへと向かう。
クリシーに泊まりサン・ドニ教会を観光して、
分岐の両方ともを制覇した。

カンからの帰路、同行のアルザシエンヌは、
その13線の南端のマラコフに住んでいたことがあると云って、
路線図を前にして、にわかに饒舌になった。

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