4.5.08

好きな言葉、聖書から

持つ者は更に与えられ、持たざる者は持っているものまで奪われる。
On donnera à toute personne qui a, mais à celui qui n'a pas on enlèvera même ce qu'il a.(ジュネーヴ聖書教会版)
ルカによる福音書、19章26行。
これは、イエスがした一つのたとえ話のなかの言葉。
主人が留守中に、三人の僕に均等に金を託す。
二人は事業をやって稼いだが、一人は減ることを恐れて大事に取っておいた。
何もしなかったその者から金を取り上げ、もっとも稼いだ者に与えた。
その際の主人の言葉である。
ここで、金とは何なのか。
価値あるもの一般なのか、文字通り金銭のことなのか。
金銭が価値を示す抽象概念の具現化したものである以上、
どちらであれ同じことだが、
皇帝のものは皇帝に返しなさい。として貨幣経済を退け、
使徒言行録で言及されているように
原始キリスト教が共産主義的な集団であったのだから、
金銭を示しているのなら自家撞着的である、ということに
ひっかかった、というだけのこと。
数ある中で、ある一本の価値体系のみが
排他的であるまでに強く評価される世界。
原始キリスト教なら信者獲得だし、
中世なら神学体系への貢献度か何かだろうし、
現在ならもちろんカネ。
そんな非情な一元化を鋭く言及している。

よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな。
Ecoutez, mais sans comprendre; voyez, mais sans connaître.(クランポン訳版)
イザヤ書、6章9行。
信じる、ということの本質を示しているように思われる。
ある対象があって、それへの接近への切望と
理解への不可能性(断絶)とが、同時に存在するとき、
その存在をまるごと呑み込んで内部で保持することで、
全面的受容という理解の亜種(決して理解ではない)
を感じる行為が信仰であると、私は個人的に考えている。

すべては塵から成った。すべては塵に返る。
Tout a été fait à partir de la poussière et tout retourne à la poussière.(ジュネーヴ聖書教会版)
コヘレトの言葉、3章20行。
「コヘレトの言葉」は聖書の中では異色で、
厭世観と輪廻思想で満ちあふれており、
それを詩的な美しい文章で綴ってあるから好きだ。
思わず書き出したくなるような文章が多いなか、
とくにこれを選び出した理由はないが、
でも美しいでしょう。
コヘレトの言葉という文章自体も、
この書物が聖書に収められていることも、
共にヤスパース的であるように思う。

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