9.7.08

政治は宗教、哥はすさび

カール・シュミットの『政治神学』を読了したのは、確か一昨日。
専攻研究への考察と批判を深く絡めながら議論を進めるという独自の書き方に慣れるまで
少々の時間がかかったが、80ページほどもなく、あっという間に読めた。
内容として有名なのは、例外状態の決定者を主権者とする定義と、
政治は世俗化された神学、という考え方だが、
どのようにその二論が結びつくのかが、読んでみて理解できた。

上田秋成の『胆大小心録』を読んでいる。
やはり学者だが、その濫觴の頃の、というか、あるいは、あるべき姿、というか、
機知が効いていて大変に面白い。
もっとも、中央公論社の全集の収録のものだからか知らないが、
注釈は最低限、というか、古典に明るくない自分にとってはあまりに不足、
そして、濁点や半濁点は一切ない。
たまに挟まれる漢文には、訓読点はあっても送り仮名はない。
それでは、一語ずつ頭の中で溶かして理解して読んでゆかねばならず、
字面を追って少しでも走り出すと、もう意味が取れなくなる。
そういえば、似たような話として思い出すのは、
かつて録音技術が良くなかった頃は、悪い音でも熱心に聴き入っていたが、
現在の良質な録音では、却って聴き入るということをしなくなった、という話。
人は技術によって豊かにされているのではなく、吸い取られてゆくだけなのだろうか。
ここでまた思い出すのは、H.D.ソローの随筆『山の生活』にあった箴言。
「我々がレールの上を走っているのではなく、レールが我々の上を走っているのだ」

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

ニーチェなら、「技術の革新によって人間の成熟が妨げられた。」というかな。しかし、あらゆるものに利と害があるのは、これまた当然のこと。害をよく理解し、受け入れた上でより良い成熟を目指すよう心掛けたいものですな。

epochestra さんのコメント...

まさしく。
それを指摘し、啓蒙し、調節するのが人文科学の役目ですよね。