18.6.09

今年の新卒

日経ビジネスオンラインに、新卒社員の取り扱い方、のような記事の割合が目立つ。
あるいは自分が張本人だからかもしれないが。

彼ら(十から廿ほど年上の連中?)に云わせると我々は、
  欲がなく、それなりのもので充足し、
  ストレスも達成感もない低温な人間で、
  コミュニケーションが欠如しており、付き合いが淡白、
であるらしい。

記事はこう続く。
  彼らの世代はバブル後の先行きのない不景気しか経験せず、
  親がリストラに怯えるのをずっと見続けて育ってきたため、
  頑張っても結果が出るとも生活や世界が良くなるとも考えることができない。
  週休二日制が漸進的に施行され、個性を重視し教育を受けたため、
  集団の調和より個を大切にする。
  インターネット、携帯電話の普及の恩恵を受けた最初の若年層であるため、
  濃密な体面コミュニケーションより、便利でデジタルなコミュニケーションを好む。

そうかも、と思えるような分析である。さらに、
  「キレる17歳」という言葉に象徴されたように
  世代まるごとを括って捉え、大人の都合で先入観と偏見にさらされた。
とでも付け加えておけば、よりいっそう的確かもしれない。

だが、ひどいのが結論。
  何を考えているかわからない彼らも同じ人間なのだから、
  腹を割って話せば理解しあえる。
  幼稚かもしれないが、あいさつやコミュニケーションを基本から教えよう。
  誉めて伸ばそう。
精神論ですか。
「頭でっかちで理屈が得意」と分析しておきながら、精神論で片づけようとするならば、
むしろ大人の側が我々を本気で理解しようとは考えていない証左だ。
こっちから近づくのはいやだ、そっちから来やがれ、と云っているのではない。
我々は大人に理解されなくても構わない。
(「キレる17歳」のときから、我々はずっと理解されてはこなかった。
 バブル崩壊後20年も社会は低迷しているにも関わらず
 社会を良くできると思い込んで残業に勤しむ大人たちの方が、
 我々からすれば宇宙人、あるいは高度成長の過去に取り憑かれた亡霊だ。)

そもそも、現代社会が躍起になっているものが、我々からすれば莫迦らしい。
内需が経済成長を支える、というかけ声とともに
必要のないモノを買わせようと四苦八苦している
(給付金? エコポイント? 笑ってまうわ!)。
モノではないんだよ、不安のない生活が欲しいのだ。
綿矢りさが『インストール』で描いたように、
部屋のものをすべて捨てても、ネットに繋がってさえいれば我々は平気なのだ。
そんな我々を「最近の若者はクルマを欲しがらなくなった」と指摘したところで、
何を今さら、笑止千万。

なのに人口減、福祉問題、年金問題、食の不安、といった
先行き不安は手つかずのまま残されている。
それらの基盤を万全にしてからこその物欲ではないのか?
安寧を寄越せ。

新卒がヘンだ、と疑問視するのではなく、
むしろその不都合を鏡として自分たちを見つめ直すという姿勢が皆無だ。
大人は不動なのか? それならば、こんな袋小路に陥った社会を作った罪で、引退すれば良い。
我々は我々なりの社会を作る。もちろん、その機会は数十年後に確実に訪れるのだが。
そのときの新人もやはり理解できない存在であろうが、
今の大人たちの連中のようによそ者扱いするのではなく、そこから学ぼうという姿勢で望みたい。

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