30.10.11

『シルビアのいる街で』、『Cooking Up Dreams』、『バグダッド・カフェ』、『借りぐらしのアリエッティ』

○ホセ・ルイス・ゲリン『シルビアのいる街で』

原題は« Dans la ville de Sylvia »。舞台はストラスブール。
旧市街Grande-Îleと現代的なメトロを縫った視線と彷徨と追尾が、この映画の主題。
主人公の男はBroglie広場のカフェで、六年前に出逢ったシルヴィアを探す。
シルヴィアの姿に似た女性を追って、撒こうとされつつひたすら街を歩く。
この視点の搦みあいが美しい。
そして、その場たるストラスブールの旧市街の美しさが、個人的に懐かしかった。
この映画の淡々とした映像を見ていて、
現在がノスタルジックに彩られていて、
過去と未来が単なる時系列で繋がっていないことに気づいた。
過去は現在と混在して生き生きと両眼の中で動き、未来は存在しない。
もしかすると、未来は過去から掬い上げた掌に載っているかもしれない。
そんな、純藝術的な、雪国的な映画だった。


○エルネスト・ダミアン『Cooking Up Dreams』

恵比寿の東京都写真美術館で開催されていた「第2回東京ごはん映画祭」で視聴。
ペルーの食の豊かさを主題に取材したドキュメンタリー映画。
そこから透けて見えてくる、ペルー人の生き方や幸せの多様性が、面白かった。
南北、貧富、高低、歴史、民族。食の多様さは、すなわち生活の多様さだ。
自給自足の農村での千年以上変わらない蒸し焼きの調理法から、
スペイン語圏というグローバリズムで注目されて今をときめく料理人まで。

写真家・佐藤健寿と安全ちゃんのトークショーがあったが、
そこでは、グローバル化と地域性の鬩ぎあう実例のようなものが挙げられた。
結局、味の資本主義ということか。
安全ちゃんは、化粧の濃くなかった以前のほうが可愛かった。


○パーシー・アドロン『バグダッド・カフェ』(ニュー・ディレクターズ・カット版)

上と同様、「第2回東京ごはん映画祭」で視聴。
Calling Youの音楽は、耳から離れない。
ストーリーは、物語論的なある種の典型で、
外部からの人間が、一コミュニティ内の調和をもたらす、というもの。
なので、ちょっと退屈ではあったけれど、
それを除くと何もなくなるわけではなく、寂しい閉塞感がどこかしら残る。
それは抜け出せない反復だ。輪廻と呼ぶと仏教的すぎるかもしれない。
トラックの行き来するアメリカ西部の沙漠のカフェという舞台が、まずそうだし、
ときおり差し挟まれる夕陽も、ブーメランも。
そして、Calling Youのサビの部分。
映画に深読みをしてしまうたちでは、これに意味を見出だしたくなる。


○宮崎駿『借りぐらしのアリエッティ』

一つの邂逅から冒険まで、という宮崎駿的ストーリー構成を、
ミニマムな形で展開した作品、として観た。
あとは、「+f」部分。
若い女性(特に髪)への執着と、背景と小道具の細やかさと色遣い。
名前を知ること、姿を見ること、の重視は、
『千と千尋の神隠し』以降、記号論のコード的に導入されているきらいがある。

22.10.11

汪暉『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』

3月12日の長池講義のテキストだったが入手に間に合わず、ようやく読み終えた。
著者の汪暉(Wang Hui)は現代中国を代表する左派知識人であるとのことで、
その回の長池講義のテーマは「中国の左翼」だった。

副題として「文革・琉球・チベット」とあり、
その三つがそれぞれ主題をなす論文三編からなる。
第一章「中国における一九六〇年代の消失 ──脱政治化の政治をめぐって
第二章「琉球 ──戦争の記憶、社会運動、そして歴史解釈について
第三章「東西間の「チベット問題」 ──オリエンタリズム、民族区域自治、そして尊厳ある政治


柄谷行人が朝日新聞の書評で書いたとおり、
この本は「脱政治化」概念で貫かれている。
市場、グローバル化、ネーションステートといった現代の諸問題を
この概念とともに俎上に載せる第一章は、理論編だ。
「脱政治化」とは、政治問題とせずに制度に落とし込み、それ自体を自明とする、
ある種の思考停止、として語られる。
20世紀の政治(結局は国家による経済安定を目指した、社会運動、政党政治)が
グローバル化、国家化、市場化へと帰結し、
それが自明の顔をして世界を席捲している状態こそ、
「脱政治化の政治イデオロギー」であるという。
経済側面のために政治が動員されてきたこの脱政治化の流れは、
・市場化と私有化の下、権力エリートとブルジョワジーの違いが曖昧になる
・グローバル化の下、経済管理権力を超国家システム(WTOなど)に委譲する
・国家は市場発展の一機関と化し、左右の政治対立が経済コントロール問題となった
として、70年代後半から90年代にかけて起こり、
不平等を自明とする新自由主義の布石となった。
著者は、不平等の問題化は、この脱政治化から「再政治化」が不可欠と指摘する。

政治と経済の“現代における”関係性の把握の難しさを、
うまく解きほぐしてくれたように感じた。
また、この論文は現代中国の政治への問いかけであるが、
一方で、55年体制の根本で相変わらずもがいている日本の現状にも当てはまるのではないか。
1955年結党以降、自由民主党は社会党をゆっくりと弱体化させながら、
政治問題を経済へと向け、高度経済成長を達成させた。
一方で、政官民の癒着と許認可行政(本田技研の自動車参入への通産省の壁など)、
親方日の丸の経済構造をうみ出した。
これは、市場開放以降の中国共産党の「脱政治化」と類似する。


第二章は、沖縄について。
著者の東京大の客員教授としての六ヶ月間の日本滞在中に、
沖縄に行ったとき印象から、叙述が始まる。
第二次大戦の日本の被害を記憶する土地として、広島と沖縄を比較していた。
興味深かったのは、広島の隠された二面性だった。
原爆の落ちたヒロシマではなく、軍事的要所としての廣島だ。
大本営(天皇直属の軍統帥機関)は市ヶ谷(現・防衛省)にあり、
敗戦間際に松本の地下壕に移されかけた、という史実は知り及んでも、
日清戦争時には広島に置かれたと知る人は少ない。
政治面のみならず経済面でも、広島は一大軍需工場集積地だった。
加害者側面と被害者側面、これがその二面性だ。とどめ置くべき指摘だ。

沖縄の社会運動は極めてはっきりしている、という著者の記述にはっとさせられた。
脱政治化されずに脈々と続く社会運動、という極めて珍しい事例のようだ。
確かに、沖縄には地上戦、軍事占領、基地問題、という近代史が帰結しており、
日本帝国主義、米軍、安保、という政治問題にずたずたにされた地だ。

この章では、近代以降に国際法が欧米からアジアへ拡大された19世紀中盤を境に、
アジアの冊封関係の多重性が、西欧の国家観の平等性・均質性に取って代わられたと指摘している。
不平等条約を結ばされた江戸幕府=朝廷政権の日本が、
ウィリアム・マーティン訳『万国公法』に説かれた国際法の知識
(=欧米の植民地支配の理論的正当性)を得て
征韓論をはじめ今度はアジア他国へ不平等条約を強いた流れだ。
日本を列強にまで成長させて「アジア人でアジア人を伐つ」戦略を
1872年にアメリカが用いたという事実(p.162)には、寒気がした。
以降、日本と中韓の対立という形で歴史が進み、戦後の冷戦期にも続いたことが、
この戦略に沿っているからだ。

後半では、米英中露の四者での戦後の国際秩序における沖縄の位置について
『蒋介石日記』から、非常にミクロに論が進められる。


第三章は、チベット問題の中国史的位置づけと、西洋からの反応との齟齬について。
西洋の視点によるチベット観をオリエンタリズム的とする分析、
清朝の冊封関係に対しての列強の覇権拡大による民族意識の植え付け、
中華民国の民族政策、中華人民共和国の自治政策、という流れで、論じられている。


どの章も、西洋の視点では持ち得ない洞察が、非常に興味深かった。
特に、第二章の沖縄問題は、個人的に9月に訪沖時の同様の刺戟も手伝い、
いろいろと勉強になることがあった。

経済とネーションステートという、
対立概念でありながら相互補完関係にあるこの不可思議な両者を、
その成立から考察する上での、ヒントとなった。

10.10.11

倉橋由美子『聖少女』

(ひと月ほど前に読了していたが、感想を書く暇と気力がなくて)

初期の(つまり「芽むしり仔撃ち」から「政治少年死す」までの)大江健三郎作品と、
文体や若さの描き方の点で、似ていると感じた。
ただ、倉橋由美子のほうが超現実的な、
少し問題をファッション化しているように思った。
それは「パルタイ」がそうだった。
そのスタンスは、1960年代には新鮮だったのだろう。

『聖少女』は、カーニヴァル的な祝祭空間に、作品の舞台を置く。
そのため、主人公の少女も語り手の少年も悪童でなければならないし、
それが過ぎたときには、実は非常に頭の良い人物でなければならない。

矢部宏治『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』

9月に行った沖縄県平和祈念資料館の売店に平積みされていた本。
この本は単行本でも新書でもなく、観光ガイドと銘打たれている。
写真家の須田慎太郎も共著者で写真に多くのページが割かれているから、
写真集であるともいえる。

平和記念資料館は糸満市摩文仁の丘の、平和記念公園内にある。
沖縄戦は1945年3月末の慶良間諸島、数日後に本島中部の北谷に米軍が上陸し、
6月に最終決戦地となった南部で23日に牛島司令官が自決するまでの戦いで、
沖縄民は激しい戦闘だけでなく、窮鼠状態の旧日本軍に蹂躙された。
その記憶を重厚に残している。

──と、それまでは考えていた。
しかし、平和記念資料館に収められた内容は、それだけではない。
明治期に沖縄県設置によって琉球王国が廃止されて以降、
社会的に名字改名を強要し、本土の日本人より低く見た待遇といった戦前の差別から、
米軍指揮下の琉球政府の非民主主義的な施策、
その軍事占領から脱するための本土復帰への願いが
軍事基地付きで果たされるという裏切りと失望、
そして、この基地問題の解決と真の平和を祈る毅然とした態度──。
この沖縄の近現代史が、日本国でも日本人でもなく沖縄・沖縄民の立場として、
毅然と語られ、決して忘れまいとする態度が、
この平和記念資料館から得た印象だった。

平和記念資料館にて。方言弾圧は明治期に日本中で行われたが、改名を伴った例を他に知らない。

本土復帰(1972年5月15日)当日の新聞。“基地つき復帰”の苦悩が見える。

帰浜後にこの本を入手して読んだ。
沖縄本島を中心にして、沖縄に散りばめられた基地を、
美しい写真とともに紹介している。

知らないことだらけだった。
1953年の来航直前にペリーが沖縄を占領目的で視察していたことをはじめ、
ハーグ陸戦条約の「掠奪はこれを厳禁とする」に違反して没収した土地や財産に
米軍基地は築かれていること、
1972年まで核兵器が最大1200発も沖縄に持ち込まれていたこと、
沖縄本島全土の軍施設を結んでパイプラインが敷かれていること、
沖縄の基地はアメリカ本土の基準を満たさない危険な運用をなされていること。
まだまだある。
でも、そういった軍事的なことだけなら、どれだけよかったか。

戦後、全面講和を望んでいた世論は、朝鮮戦争の緊迫した政局で煽られた後、
GHQ下の日本政府は1951年のサンフランシスコ平和条約(多数講和)へこぎ着けた。
そしてそのたった6時間後、吉田茂は日米安保条約に調印した。
アメリカの軍部が9日で書き上げた日本国憲法、
サンフランシスコ平和条約、そして日米安保条約。
この三位一体が、反共の防波堤としての日本の戦後の地位を気づいた。
1955年にCIAの多額の支援を受けて、左派に対抗するために自民党が結成され、
日本テレビが、アメリカ式娯楽を放送する日本初の民放として、
これまたCIAの資金援助で占領終了の1953年に誕生。
55年体制は、日米安保と日本国憲法の矛盾を、
日米地位協定とその厖大な密約で接ぎ木して、
単に経済発展にだけ関わる脱政治化された政治体制、としてまとめている。
いや、砂川事件と伊達判決(1959年)によって、
日米安保条約が最高裁に優越するという、まさに異常な事態を常態化した。
そしてそのまま、基地問題に手を打てないまま鳩山首相が辞任するなど、
この米軍至上主義は、自民党政権を離れてなお続いている。

この絶望的な状況が語られた後、一縷の希望が紹介される。
憲法に外国軍駐留を盛り込んで、見事に真の独立を果たしたシンガポールの例だ。
世界情勢だのアメリカとの同盟関係だのではなく、
基地問題という最大の棘を、直視すること。
それこそが、今なお続く沖縄の苦痛に目を向け、
これからの世界と日本の方向性を決めることだ。
その勇気が今の日本にあるとは、あまり思えないけれど。
しかし、来るべき時のために、そっと勉強しておこうと思った。

また、アメリカの法治と軍部の二律背反性が、ときどき馬脚を現すようだった。
日本が軍部を法治できなかったのと同じように、
現代のアメリカが軍隊の自己増殖を
民衆レベルではもはやどうにもできなくなっているのではないか。