3月12日の長池講義のテキストだったが入手に間に合わず、ようやく読み終えた。
著者の汪暉(Wang Hui)は現代中国を代表する左派知識人であるとのことで、
その回の長池講義のテーマは「中国の左翼」だった。
副題として「文革・琉球・チベット」とあり、
その三つがそれぞれ主題をなす論文三編からなる。
第一章「中国における一九六〇年代の消失 ──脱政治化の政治をめぐって」
第二章「琉球 ──戦争の記憶、社会運動、そして歴史解釈について」
第三章「東西間の「チベット問題」 ──オリエンタリズム、民族区域自治、そして尊厳ある政治」
柄谷行人が朝日新聞の書評で書いたとおり、
この本は「脱政治化」概念で貫かれている。
市場、グローバル化、ネーションステートといった現代の諸問題を
この概念とともに俎上に載せる第一章は、理論編だ。
「脱政治化」とは、政治問題とせずに制度に落とし込み、それ自体を自明とする、
ある種の思考停止、として語られる。
20世紀の政治(結局は国家による経済安定を目指した、社会運動、政党政治)が
グローバル化、国家化、市場化へと帰結し、
それが自明の顔をして世界を席捲している状態こそ、
「脱政治化の政治イデオロギー」であるという。
経済側面のために政治が動員されてきたこの脱政治化の流れは、
・市場化と私有化の下、権力エリートとブルジョワジーの違いが曖昧になる
・グローバル化の下、経済管理権力を超国家システム(WTOなど)に委譲する
・国家は市場発展の一機関と化し、左右の政治対立が経済コントロール問題となった
として、70年代後半から90年代にかけて起こり、
不平等を自明とする新自由主義の布石となった。
著者は、不平等の問題化は、この脱政治化から「再政治化」が不可欠と指摘する。
政治と経済の“現代における”関係性の把握の難しさを、
うまく解きほぐしてくれたように感じた。
また、この論文は現代中国の政治への問いかけであるが、
一方で、55年体制の根本で相変わらずもがいている日本の現状にも当てはまるのではないか。
1955年結党以降、自由民主党は社会党をゆっくりと弱体化させながら、
政治問題を経済へと向け、高度経済成長を達成させた。
一方で、政官民の癒着と許認可行政(本田技研の自動車参入への通産省の壁など)、
親方日の丸の経済構造をうみ出した。
これは、市場開放以降の中国共産党の「脱政治化」と類似する。
第二章は、沖縄について。
著者の東京大の客員教授としての六ヶ月間の日本滞在中に、
沖縄に行ったとき印象から、叙述が始まる。
第二次大戦の日本の被害を記憶する土地として、広島と沖縄を比較していた。
興味深かったのは、広島の隠された二面性だった。
原爆の落ちたヒロシマではなく、軍事的要所としての廣島だ。
大本営(天皇直属の軍統帥機関)は市ヶ谷(現・防衛省)にあり、
敗戦間際に松本の地下壕に移されかけた、という史実は知り及んでも、
日清戦争時には広島に置かれたと知る人は少ない。
政治面のみならず経済面でも、広島は一大軍需工場集積地だった。
加害者側面と被害者側面、これがその二面性だ。とどめ置くべき指摘だ。
沖縄の社会運動は極めてはっきりしている、という著者の記述にはっとさせられた。
脱政治化されずに脈々と続く社会運動、という極めて珍しい事例のようだ。
確かに、沖縄には地上戦、軍事占領、基地問題、という近代史が帰結しており、
日本帝国主義、米軍、安保、という政治問題にずたずたにされた地だ。
この章では、近代以降に国際法が欧米からアジアへ拡大された19世紀中盤を境に、
アジアの冊封関係の多重性が、西欧の国家観の平等性・均質性に取って代わられたと指摘している。
不平等条約を結ばされた江戸幕府=朝廷政権の日本が、
ウィリアム・マーティン訳『万国公法』に説かれた国際法の知識
(=欧米の植民地支配の理論的正当性)を得て
征韓論をはじめ今度はアジア他国へ不平等条約を強いた流れだ。
日本を列強にまで成長させて「アジア人でアジア人を伐つ」戦略を
1872年にアメリカが用いたという事実(p.162)には、寒気がした。
以降、日本と中韓の対立という形で歴史が進み、戦後の冷戦期にも続いたことが、
この戦略に沿っているからだ。
後半では、米英中露の四者での戦後の国際秩序における沖縄の位置について
『蒋介石日記』から、非常にミクロに論が進められる。
第三章は、チベット問題の中国史的位置づけと、西洋からの反応との齟齬について。
西洋の視点によるチベット観をオリエンタリズム的とする分析、
清朝の冊封関係に対しての列強の覇権拡大による民族意識の植え付け、
中華民国の民族政策、中華人民共和国の自治政策、という流れで、論じられている。
どの章も、西洋の視点では持ち得ない洞察が、非常に興味深かった。
特に、第二章の沖縄問題は、個人的に9月に訪沖時の同様の刺戟も手伝い、
いろいろと勉強になることがあった。
経済とネーションステートという、
対立概念でありながら相互補完関係にあるこの不可思議な両者を、
その成立から考察する上での、ヒントとなった。
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