幻想文学は、幻想たる部分の説明と、物語の進行が、
自然かつ華麗になされなければならない。
それぞれの重視する観点が前者か後者かで、
幻想の世界を見せたい幻想文学と、
その仮定が人や社会の本質をあぶり出す幻想文学、二つがある。
もちろん、この分類法は恣意的で乱暴だ。
藤子不二雄的SFだって、幻想文学だ。
ジョイス・キャロル・オーツ「どこへ行くの、どこ行ってたの?」はその体裁。
ケン・カルファス「見えないショッピングモール」は、
前者(幻想の世界を見せたい幻想文学)の最たる例かもしれない。
カルヴィーノ『見えない都市』の形式をそのまま拝借している。
都市ではなくショッピングモールが、建築ではなく資本主義の極致が、
マルコ・ポーロに仮託したカルヴィーノの文体で述べられる。
まさに『見えない都市』番外編。
ウィリアム・T・ヴォルマン「失われた物語たちの墓」は読まなかった。
ポーの下敷きを汲み取って読めるほど、私の読書量は充分ではない。
26.1.12
後藤明生『首塚の上のアドバルーン』、津田大介『Twitter社会論』
後藤明生『首塚の上のアドバルーン』
七つの短篇からなる連作。
東京郊外で開発の著しい幕張に引っ越してきて、
そこから偶然、馬加康胤の首塚を見つける。
幕張の地名由来となった千葉氏傍系の士族だ。
まっさらな土地に建設されたニュータウンにいながら、
旧市民との微妙な関係、さらなる過去にある馬加氏の謎をめぐって、
滝口入道、新田義貞など、首塚をめぐっての連想と脱線、と続く。
後藤明生は『挟み撃ち』を読んで、物語の脱線が繋がってゆく面白さを感じた。
『挟み撃ち』はゴーゴリの「外套」を下敷きに、
アカーキー・アカーキエヴィチならぬ赤木氏が外套を探して彷徨する。
『首塚の上のアドバルーン』も、脱線の横滑りだ。
しかし、脱線は繋がらずに、馬加康胤の首塚とニュータウンをめぐって
ぐるぐると私的にまわってゆくばかり。
物語はあまり何も産まない。
しかし、郊外というものを一枚剥いだ歴史、得体の知れないトポス、というものを
この連作は感じさせる。
ニュータウンをこのような多重性で描いた作品は、意外にそう多くない。
津田大介『Twitter社会論』
iPhoneアプリとしての無料配布を享受し、私の初めて読んだ電子書籍だ。
メディアジャーナリストでtwitterヘビーユーザーによるTwitter概論。
140字のタイムラインというtwitterがどのように世に出て、
新たなコミュニケーションツールとして使用されているか、
メディア、ジャーナリズム、政治、経済にどう作用しているか、
刊行時2009年11月の趨勢がまとめられている。
あとがきには、その後にリツイート機能の実装の影響などが附記されている。
概論としてまとまっているので、twitterの背景や状況を一通り知るには良い。
七つの短篇からなる連作。
東京郊外で開発の著しい幕張に引っ越してきて、
そこから偶然、馬加康胤の首塚を見つける。
幕張の地名由来となった千葉氏傍系の士族だ。
まっさらな土地に建設されたニュータウンにいながら、
旧市民との微妙な関係、さらなる過去にある馬加氏の謎をめぐって、
滝口入道、新田義貞など、首塚をめぐっての連想と脱線、と続く。
後藤明生は『挟み撃ち』を読んで、物語の脱線が繋がってゆく面白さを感じた。
『挟み撃ち』はゴーゴリの「外套」を下敷きに、
アカーキー・アカーキエヴィチならぬ赤木氏が外套を探して彷徨する。
『首塚の上のアドバルーン』も、脱線の横滑りだ。
しかし、脱線は繋がらずに、馬加康胤の首塚とニュータウンをめぐって
ぐるぐると私的にまわってゆくばかり。
物語はあまり何も産まない。
しかし、郊外というものを一枚剥いだ歴史、得体の知れないトポス、というものを
この連作は感じさせる。
ニュータウンをこのような多重性で描いた作品は、意外にそう多くない。
津田大介『Twitter社会論』
iPhoneアプリとしての無料配布を享受し、私の初めて読んだ電子書籍だ。
メディアジャーナリストでtwitterヘビーユーザーによるTwitter概論。
140字のタイムラインというtwitterがどのように世に出て、
新たなコミュニケーションツールとして使用されているか、
メディア、ジャーナリズム、政治、経済にどう作用しているか、
刊行時2009年11月の趨勢がまとめられている。
あとがきには、その後にリツイート機能の実装の影響などが附記されている。
概論としてまとまっているので、twitterの背景や状況を一通り知るには良い。
16.1.12
仲村清司『本音で語る沖縄史』
読みやすい抑揚はあれど、タイトルとは裏腹にひたすら琉球=沖縄の歴史が語られる。
沖縄の今を知る上で欠かせない前提知識となる沖縄史を、概観できた。
砂鉄が産出しないために10世紀頃まで貝塚時代を続けた後、
鉄器の輸入による強国化と身分社会の発達、按司の群雄割拠までは、
あるいは八重山の身分制のない漁撈生活から鉄文化導入による身分制への移行は、
歴史の一般性がありありと現れている。
琉球王国は日中両大国間でうまく立ち回ることで交易で繁栄を謳歌し、
官僚制の硬直化によって滅びることで日本の一辺境と化したが、
王国時代には人頭税によって八重山諸島から搾取した。
この多重性が、琉球を善とし沖縄を悪と見なす短絡さを許さない。
ここにもやはり、そうした一般性が透けて見える。
日本と中国の間で貿易国として栄えた琉球王国の時代は、
朝貢・冊封というゆるやかな外交関係が、現在の西欧的国際法とは全く異なり、
経済秩序の下として成り立っていたという実例として、面白かった。
それに倣い、江戸時代幕藩体制を一政体ではなく連邦体と見て、
江戸幕府を中心とする冊封体制と考えた方がいいかもしれない。
鎖国は国内を一つに閉ざしたと考えがちだが、
実際のところ交易は諸藩やオランダ人商人によって世界経済に組み入れられている。
近代、琉球王国は政治の迷走によって次第に外交能力を失い、
薩摩と清国の間の外交の切り札に成り下がった。
明治政権による琉球処分、同化政策と沖縄戦、占領と基地の時代まで、
沖縄の自主ではなく支配者(薩摩、明治政府、アメリカ、日中安保下の日本)に
翻弄されて、今に至っている。
そうした中、例えば改名は国内の身分向上のために“自発的”だったという
涙ぐましいアイデンティティの抛棄が進歩的な人々の中にあったという事実も、
一方では留めておいたほうがいい。
実利と名誉を秤にかけるということを余儀なくされた選択は時代を生き抜くためで、
後世から軽々しく批難も賛同もできない。
現代のわれわれがその歴史から学べることは、何なのだろうか。
沖縄の今を知る上で欠かせない前提知識となる沖縄史を、概観できた。
砂鉄が産出しないために10世紀頃まで貝塚時代を続けた後、
鉄器の輸入による強国化と身分社会の発達、按司の群雄割拠までは、
あるいは八重山の身分制のない漁撈生活から鉄文化導入による身分制への移行は、
歴史の一般性がありありと現れている。
琉球王国は日中両大国間でうまく立ち回ることで交易で繁栄を謳歌し、
官僚制の硬直化によって滅びることで日本の一辺境と化したが、
王国時代には人頭税によって八重山諸島から搾取した。
この多重性が、琉球を善とし沖縄を悪と見なす短絡さを許さない。
ここにもやはり、そうした一般性が透けて見える。
日本と中国の間で貿易国として栄えた琉球王国の時代は、
朝貢・冊封というゆるやかな外交関係が、現在の西欧的国際法とは全く異なり、
経済秩序の下として成り立っていたという実例として、面白かった。
それに倣い、江戸時代幕藩体制を一政体ではなく連邦体と見て、
江戸幕府を中心とする冊封体制と考えた方がいいかもしれない。
鎖国は国内を一つに閉ざしたと考えがちだが、
実際のところ交易は諸藩やオランダ人商人によって世界経済に組み入れられている。
近代、琉球王国は政治の迷走によって次第に外交能力を失い、
薩摩と清国の間の外交の切り札に成り下がった。
明治政権による琉球処分、同化政策と沖縄戦、占領と基地の時代まで、
沖縄の自主ではなく支配者(薩摩、明治政府、アメリカ、日中安保下の日本)に
翻弄されて、今に至っている。
そうした中、例えば改名は国内の身分向上のために“自発的”だったという
涙ぐましいアイデンティティの抛棄が進歩的な人々の中にあったという事実も、
一方では留めておいたほうがいい。
実利と名誉を秤にかけるということを余儀なくされた選択は時代を生き抜くためで、
後世から軽々しく批難も賛同もできない。
現代のわれわれがその歴史から学べることは、何なのだろうか。
11.1.12
アンドレイ・ベールイ『ペテルブルグ』、朝吹真理子『きことわ』
アンドレイ・ベールイ『ペテルブルグ』
2011年から2012年にかけて読んだ。
都市小説との評判から手に取り、
貧富と新旧の時代が混じりあう20世紀初頭のペテルブルグの息を吸うように読んだ。
革命前夜のロシアの、公安と革命派が雑踏の中で睨みあいぶつかるような
不穏な心地が、物語のそばで少なくないページを割いて描かれる。
そのため、筋書きだけでなく、街じゅうに陰翳の濃さが落ちている。
青銅の騎士による暗殺のくだりは、息つかせなかった。
朝吹真理子『きことわ』
80〜90年代をそこはかとなく思わせる抑揚のない単調な文体で、
場面の盛り上がりも淡々としている。
執拗な観察眼が文体に宿れば、田和田葉子のようになる文体だ。
とはいえ、慣れた貫禄に育つ行く末が予想できそうな書きっぷり。
これで筆歴が浅いというのだから驚く。家系か。
夢をまたぐ時間が、
貴子と永遠子の二人の記憶や姿、髪の搦みあいとして縷々と語られる。
夢のようだった過ぎし現実、現実と思って見る夢──
夢とうつつのパラレルが交錯する。
同じ時間と場面の時系列を歪めるという試みでも、『流跡』のほうが、
小説にしか出来ないことをやっていて面白かった。
この作品は芥川賞を受賞したが、
吉村萬壱『ハリガネムシ』のように、賞を狙うため材を身近に取った感がある。
時の流れに対する無限遠方の基点のようにしばしば言及される天体や宇宙も、
対照として置いて見較べさせようとするのではなくて、
池澤夏樹『スティル・ライフ』の、見上げた空いっぱいの瞬きへの嘆息が欲しい。
2011年から2012年にかけて読んだ。
都市小説との評判から手に取り、
貧富と新旧の時代が混じりあう20世紀初頭のペテルブルグの息を吸うように読んだ。
革命前夜のロシアの、公安と革命派が雑踏の中で睨みあいぶつかるような
不穏な心地が、物語のそばで少なくないページを割いて描かれる。
そのため、筋書きだけでなく、街じゅうに陰翳の濃さが落ちている。
青銅の騎士による暗殺のくだりは、息つかせなかった。
朝吹真理子『きことわ』
80〜90年代をそこはかとなく思わせる抑揚のない単調な文体で、
場面の盛り上がりも淡々としている。
執拗な観察眼が文体に宿れば、田和田葉子のようになる文体だ。
とはいえ、慣れた貫禄に育つ行く末が予想できそうな書きっぷり。
これで筆歴が浅いというのだから驚く。家系か。
夢をまたぐ時間が、
貴子と永遠子の二人の記憶や姿、髪の搦みあいとして縷々と語られる。
夢のようだった過ぎし現実、現実と思って見る夢──
夢とうつつのパラレルが交錯する。
同じ時間と場面の時系列を歪めるという試みでも、『流跡』のほうが、
小説にしか出来ないことをやっていて面白かった。
この作品は芥川賞を受賞したが、
吉村萬壱『ハリガネムシ』のように、賞を狙うため材を身近に取った感がある。
時の流れに対する無限遠方の基点のようにしばしば言及される天体や宇宙も、
対照として置いて見較べさせようとするのではなくて、
池澤夏樹『スティル・ライフ』の、見上げた空いっぱいの瞬きへの嘆息が欲しい。
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