11.1.12

アンドレイ・ベールイ『ペテルブルグ』、朝吹真理子『きことわ』

アンドレイ・ベールイ『ペテルブルグ』

2011年から2012年にかけて読んだ。
都市小説との評判から手に取り、
貧富と新旧の時代が混じりあう20世紀初頭のペテルブルグの息を吸うように読んだ。
革命前夜のロシアの、公安と革命派が雑踏の中で睨みあいぶつかるような
不穏な心地が、物語のそばで少なくないページを割いて描かれる。
そのため、筋書きだけでなく、街じゅうに陰翳の濃さが落ちている。
青銅の騎士による暗殺のくだりは、息つかせなかった。


朝吹真理子『きことわ』

80〜90年代をそこはかとなく思わせる抑揚のない単調な文体で、
場面の盛り上がりも淡々としている。
執拗な観察眼が文体に宿れば、田和田葉子のようになる文体だ。
とはいえ、慣れた貫禄に育つ行く末が予想できそうな書きっぷり。
これで筆歴が浅いというのだから驚く。家系か。

夢をまたぐ時間が、
貴子と永遠子の二人の記憶や姿、髪の搦みあいとして縷々と語られる。
夢のようだった過ぎし現実、現実と思って見る夢──
夢とうつつのパラレルが交錯する。

同じ時間と場面の時系列を歪めるという試みでも、『流跡』のほうが、
小説にしか出来ないことをやっていて面白かった。
この作品は芥川賞を受賞したが、
吉村萬壱『ハリガネムシ』のように、賞を狙うため材を身近に取った感がある。
時の流れに対する無限遠方の基点のようにしばしば言及される天体や宇宙も、
対照として置いて見較べさせようとするのではなくて、
池澤夏樹『スティル・ライフ』の、見上げた空いっぱいの瞬きへの嘆息が欲しい。

0 件のコメント: