27.1.12

柴田元幸編訳『どこにもない国 現代アメリカ幻想小説集』

幻想文学は、幻想たる部分の説明と、物語の進行が、
自然かつ華麗になされなければならない。
それぞれの重視する観点が前者か後者かで、
幻想の世界を見せたい幻想文学と、
その仮定が人や社会の本質をあぶり出す幻想文学、二つがある。

もちろん、この分類法は恣意的で乱暴だ。
藤子不二雄的SFだって、幻想文学だ。
ジョイス・キャロル・オーツ「どこへ行くの、どこ行ってたの?」はその体裁。

ケン・カルファス「見えないショッピングモール」は、
前者(幻想の世界を見せたい幻想文学)の最たる例かもしれない。
カルヴィーノ『見えない都市』の形式をそのまま拝借している。
都市ではなくショッピングモールが、建築ではなく資本主義の極致が、
マルコ・ポーロに仮託したカルヴィーノの文体で述べられる。
まさに『見えない都市』番外編。

ウィリアム・T・ヴォルマン「失われた物語たちの墓」は読まなかった。
ポーの下敷きを汲み取って読めるほど、私の読書量は充分ではない。

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