16.1.12

仲村清司『本音で語る沖縄史』

読みやすい抑揚はあれど、タイトルとは裏腹にひたすら琉球=沖縄の歴史が語られる。
沖縄の今を知る上で欠かせない前提知識となる沖縄史を、概観できた。

砂鉄が産出しないために10世紀頃まで貝塚時代を続けた後、
鉄器の輸入による強国化と身分社会の発達、按司の群雄割拠までは、
あるいは八重山の身分制のない漁撈生活から鉄文化導入による身分制への移行は、
歴史の一般性がありありと現れている。
琉球王国は日中両大国間でうまく立ち回ることで交易で繁栄を謳歌し、
官僚制の硬直化によって滅びることで日本の一辺境と化したが、
王国時代には人頭税によって八重山諸島から搾取した。
この多重性が、琉球を善とし沖縄を悪と見なす短絡さを許さない。
ここにもやはり、そうした一般性が透けて見える。

日本と中国の間で貿易国として栄えた琉球王国の時代は、
朝貢・冊封というゆるやかな外交関係が、現在の西欧的国際法とは全く異なり、
経済秩序の下として成り立っていたという実例として、面白かった。
それに倣い、江戸時代幕藩体制を一政体ではなく連邦体と見て、
江戸幕府を中心とする冊封体制と考えた方がいいかもしれない。
鎖国は国内を一つに閉ざしたと考えがちだが、
実際のところ交易は諸藩やオランダ人商人によって世界経済に組み入れられている。

近代、琉球王国は政治の迷走によって次第に外交能力を失い、
薩摩と清国の間の外交の切り札に成り下がった。
明治政権による琉球処分、同化政策と沖縄戦、占領と基地の時代まで、
沖縄の自主ではなく支配者(薩摩、明治政府、アメリカ、日中安保下の日本)に
翻弄されて、今に至っている。
そうした中、例えば改名は国内の身分向上のために“自発的”だったという
涙ぐましいアイデンティティの抛棄が進歩的な人々の中にあったという事実も、
一方では留めておいたほうがいい。
実利と名誉を秤にかけるということを余儀なくされた選択は時代を生き抜くためで、
後世から軽々しく批難も賛同もできない。
現代のわれわれがその歴史から学べることは、何なのだろうか。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

再度 考えました
沖縄と対立する存在
・・・それは、あまり意味がないのでは。食えずに北海道に行った屯田兵、南米に夢を抱いた移民。その影で表舞台に登ったのはほんのわずか一撮み。

私も屯田兵の末裔ですが、屯田兵の苦労より、生まれ出悩みに四苦八苦。

あなたにとってお粗末かもしれません。ご無礼仕り候