27.2.12

中島京子『小さいおうち』、『新島襄 教育宗教論集』

中島京子『小さいおうち』

2010年下半期直木賞受賞作。
概して直木賞作品はあまり読まないが、知己の編集者が誉めていたので手に取った。

引退した女中が、戦時中に働いた中上流家庭での思い出を語る。
その書き出しはどうしてもカズオ・イシグロ『日の名残り』を思わせる。
戦時中の描写はエピソードはあるもののあまりうねらず淡々としているし、
調べて書いたような裏がやや透けて、
井上ひさし『東京セヴンローズ』、島田雅彦『退廃姉妹』に及ばない。
長過ぎる前半は、語り手の死去で閉ざされる。
終章からなる後半が、面白い。
物語のそこここに振り出しておいたイメージを、一気に束ねて現代へ蘇らせる。
過去を問うということへの問題の投げかけが、最後にすっと提示されて、巧い。


『新島襄 教育宗教論集』

同志社編。主に講演原稿から、教育論、宗教論、そして若干の文明論を編んだ選集。
同志社英学校の創立者として知られる人物像が一般的だが、
これを読んで、むしろ汎く日本にキリスト教的自由主義の高等教育を浸透させる野心がうかがえた。
その問題意識には、物質的な欧化に伴わない自由主義精神の早急な必要性がある。
折しも、国会開設の勅諭の後の時代だった。

新島襄のキリスト教とは、むしろ近代欧米のキリスト教文化的な精神性だ。
新旧約の聖書を散りばめた説教ではなく、東洋の譬喩をも時には援用し、
倫理と理性を説き、そのうえでキリスト教の有用性を説く。
だから、直接運営的な会衆派が代議的性格の長老派と合併する際には、
布教の効率ではなく直接民主制的な精神性を重んじて、あえて強く反対した。
ここに、新島の優先順位を見ることができる。

新島は個人の自由意志を尊重する。
だから、ミッションスクールとは異なって、入学する学生に信仰を問わなかった。
演説でも「もし皆さまがそれ[=永遠の命]を自由意志でもってうけいれられないのであれば、神といえどもそれを受けるよう強制はできない」(p.156)と述べている。
また、「[…]忠臣義士とか云い、又同胞兄弟のために公益を計りし人も、[…]これらの人々は、真に人間として、人間終局の点に達せし人と云うべからず」(p.174)と、
ここまで言い切ってしまうのはすごい。

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