3.7.12

伊坂幸太郎『仙台ぐらし』、小川国夫『試みの岸』、コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』


伊坂幸太郎『仙台ぐらし』

『仙台学』に連載したエッセイをまとめたものとのこと。
仙台に大学生時代を暮らし、仙台に郷愁を抱く一人にとって、
このエッセイ集に、あまり仙台らしさを感じ取ることはできなかった。
「タクシーが多すぎる」ぐらいのものだった。
それでも、文系食堂の脇の喫茶店のミルクコーラは、
学生時代に取りこぼした一エピソードを補完してくれたし、
喫茶店(のチェーン)によく行った身としては、その話題も懐かしかった。
エッセイにそうはかかれていないのだけれど、
愛宕上杉通のちっぽけなドトールを思わず重ねあわせていた。
もしかすると、仙台の良さはそういうとりとめのなさなのかもしれない。

この本の一番の良さは、後ろ1/3ほどのところで東日本大震災を挟んでいることだ。
日常が鋭く切断されて闇が広がる行く末を、じわじわと修復してゆく静かな生命力が、
伊坂幸太郎の特に特徴も抑揚もない文体から、滲んで溢れているように感じた。


小川国夫『試みの岸』

馬をめぐる短篇三作、とでもいおうか。
小川国夫の譬喩の輝きは、近代の日本文学の屈指のものだと思うが、
表題作の冒頭、馬への眼差しはその真骨頂だ。
「十吉が竜の鬚の実を摘んで、胸へぶつけると、
 筋肉を顫わせて躍ねのけた」というようなリアリズムがあれば、
「それは余一が知らない笑い方で、快いしつっこさがあった。
 彼女がわらっているのではなくて、彼女の中でだれかが笑っているようでさえあった」
という透かせるような喩えもある。小川国夫の小説を読む愉しみの極みだ。

物語は静岡の大井川の流域、おそらくは藤枝や焼津のあたりだ。
地名として骨洲、速谷、静南などが出てくるが、どれがどこを示すかはわからなかった。
静岡は高地のように温暖で牧歌的に思われた。
『アポロンの島』で描かれた風土が、より日本の土着の荒々しさは帯びたものの、
静岡に根ざして描かれていると感じた。


コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』

シーンが行空けで短く区切られていて、映画のようだった。
非現実的な前提を措定してから現実性を追う、これはリアリズム小説なんだと思う。

庭のシェルターに備蓄庫を見つけ、そこで何日か暮らす。
最も幸せでありかつ、次の瞬間に何が起きるか分からないもっとも不穏なシーンだった。
幸せが、それを失わせる暴力を予感させ、幸せにあり余る恐れを生む。
囚人のジレンマで非協力が確立されてしまった世界は、こうも怯えるものなのか、と考えた。
人と人とを結びつけるという意味で、経済の功利も、つれづれに。

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