23.8.12

夏目漱石『倫敦塔』、平野啓一郎『滴り落ちる時計たちの波紋』、秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』


 夏目漱石『倫敦塔』

「国破れて山河在」るとき、国はもう記憶にとどめられるまでだ。
そうした記憶の総体として、倫敦塔が黙したまま建っている。

「墓碣と云ひ、紀念碑といひ、賞牌と云ひ、綬章と云ひ此等が存在する限りは、空しき物質に、ありし世を偲ばしむるの具となるに過ぎない。われは去る、われを傳ふるものは殘ると思ふは、去るわれを傷ましむる媒介物の殘る意にて、われ其者の殘る意にあらざるを忘れたる人の言葉と思ふ」
この箇所が、そのことを最も抽出して言っていて心に響いたので、引用しておく。


 平野啓一郎『滴り落ちる時計たちの波紋』

短篇集。いずれも漠々として現代の不安を主題にしている。
そういった意味で、平野啓一郎は社会派なのだと思う。
『月蝕』『一月物語』で懐古調を滲ませたときとはまるで違う。
いや、むしろ端正な文体が感情や状況を切り取って呈示してゆく心地よさは、
コンスタンやラディゲに近しく感じる。

「初七日」は、うまく組み立てられた中篇といった感じで、主題の搦みあいがうまい。
戦争、家系、記憶、自分、…。
このうまくいかないもどかしさがあてのない自問自答を繰り広げる文体は、
平野啓一郎の"不安"の描き方なのだと思う。

「最後の変身」で終始する独白が、特にそう感じさせた。
これは、カフカ『変身』論としても読ませるし、
私を含む現代人(大人の御仁にはゆとり世代前後と言った方が良いのかもしれないが)は
ここに叫ばれるバブル期の後処理のやるせなさと、
個性を牽制しあうような風潮が、よくわかる。
それはかつて、酒鬼薔薇聖斗事件に同世代が「共感できる」と答えて
大人たちを震撼させた、その気分だ。

「閉じ込められた少年」は一種の回文となっていて、
文章を一つずつ逆に辿って読んでも同じ作品になるようになっている。
同じ文章の二度目の意味が変じていたりして、意外に面白かった。


 秋庭俊『帝都東京・隠された地下網の秘密』

戦前に完成したのは銀座線だけでなく、
他に多くが政府・陸軍の専用線などとして存在したという主張。
いわゆるトンデモ本の一つになろうか。
それでもよく取材されていて、説得力はかなりのものだった。

東海道新幹線も戦前の計画と用地収用があったからこそ
戦後の19年間で開業できたといわれるし、
戦後に栄えた技術を日本が誇ったのも、
軍事的な技術蓄積が民生に転用されたからとされる。
そういった意味でも、東京の地下の多くが
国民に明かされていないまま活用されているというのは、
あり得ないことではないと思った。

残念なのは、決定的な裏づけを欠くこと。
その一歩手前まで迫ってはいるが。
それゆえ、トンデモ本の扱いになってしまっている。

0 件のコメント: