夏目漱石『三四郎』
『草枕』が美の問題と俗世の煩いの二本の軸で進行し、
結末で見事に合一させる小説だとすると、
『三四郎』は学問世界の飄々と人間関係・恋愛の二軸を
混ぜ合わせてその波紋をみながら、結局二つを溶かしあわせない。
柄谷行人が解説で、ストーリー第一主義への重要なアンチテーゼと評している。
ストーリーを綴っておきながらそれを超える訴えかけがある、という気が、
確かに前期の夏目漱石にはあるように思う。
魚喃キリコ『strawberry shortcakes』
フランス語版で読んだ。仏題ならmille-feuilles aux fraisesとなろう。
扱う主題は、日常の倦怠感とやるせなさ、恋愛。
とはいえ、それを日本語で読まなかったことが、一つの新鮮さだった。
それはむしろ、言葉からは最小限の科白のみを得て、
絵の語ることに耳を傾けることができたことによるのかもしれない。
いや、確かに科白も最小限に絞られて、一字一句が語るのだけれども、
翻訳はどうしても日本語が含み持たせていた意の迷いや強さ、震えや弱さの、
すべてを汲み尽くして移し替えることはできない。
だから逆に、絵の展開が私に多くを語った。
それは、魚喃キリコの作風を味わう上で、
決してマイナスではなかったのではないか。
影絵のような描写が、ストーリー展開をそのモーションの小さな一部で切り取る。
それは、あるいはほんの小さな手先だったり、複雑な表情だったりする。
静かで淡々としているにもかかわらず、
コマの一つ一つが抑制された静かな内容で想像力をかき立てる。
特に、表情の機微はほんとうに巧い。
0 件のコメント:
コメントを投稿