4.4.18

リチャード・ブローティガン「西瓜糖の日々」

iDᴇᴀᴛʜのある日常が語られる。
その書き出しは淡々と美しく、小説全体を包む静けさを象徴する。
In watermelon sugar the deeds were done and done again as my life is done in watermelon sugar. I'll tell you about it because I am here and you are distant.

町はたいてい西瓜糖でできているらしい。
無数の細い川が流れ、鱒が泳いでいる。
桃源郷のような暮らしがある。
しかし、Forgetten Worksが町外れに打ち棄てられ、
そこに魅せられた者はそこでの生活に疑問を持ち、死を選ぶ。
だが、それは主人公たちには決して伝わらない。
閉ざされた世界は美しく塗り込められて、綻びは許されない。

幸福と生とのせめぎ合いが、そこでは超克されている。
生というものの本質的な危うさが、そこには無い。
いや、墓や立像や鱒としてあちこちに死が刻印されているにもかかわらず、
生が無自覚に、空気のように充満している。
だから、幸福もまた空気のように、快いが自明であり、勝ち取るものではない。

この小説は、自我のない幸福を材に取りながらも、揶揄しない。
むしろ、そのような幸せを描き切ってしまう。
ディストピア賛歌という危うい内容なだけに、問いかけに厚みがある。

──原書で読んだ。
ずっと本棚の奥へと敬遠してきたわりには、読みやすかった。

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