新書版ではなく、ちくま学芸文庫版。
空間を区切り、装飾や機能によって用途や雰囲気を作り出す
という作業が建築である以上、
独特の精神世界や世界観を演出する必要のある宗教は、
その信条に一致した建築を志向する。
新宗教が、どのようにして、その世界観や思想と合一して
建築設計や都市設計を行ったかが、克明な調査で明らめられている。
宗教と建築の関係を論じて、議論は伝統宗教である仏教・神道の建築にも及ぶ。
特に、近代以降の神社建築における
木かコンクリートかを巡る議論は、近代と伝統がどう鬩ぎあったのか
知る上で、大変面白かった。
ナショナルなマツリの場として大正時代に建てられた明治神宮を基軸に
1940年の東京五輪が設計されたという事実は、
1936年の某五輪の実質機能と似通っていて非常に不気味。
植民地時代の朝鮮半島・台湾の神社も紹介されている。
アメリカのキリスト教右派の権化のようなモルモン教や、
タイのカオダイ教なども取材されていて、おもしろかった。
たぶん、建築雑誌の「カーサ ブルータス」より
遥かにお腹いっぱいになる。遥かに遠い話題だけど。
8.9.09
帰浜
帰浜!
やっぱ、ちょっと陽焼けした気がする。固より黒いけど。
さて、今回の遍路のテーマ曲は二つ。
一つはもちろん般若心経のラップ。心憎いです。
二つ目は、高知あたりでラジオからたまたま流れた曲。
MINMIの「シャナナ☆」。テンションええわー。聴きまくってる。
さて、昨日はミナミに行ってきた。大阪人やのに初の道頓堀。
難波からほんまにすぐやってことすら知らへんかった。
んで、日本橋と新世界を歩いて、天王寺から帰った。
このところの奔放ぶり、自分はまだ学生上がりどころか学生なんちゃうか。
まぁ、あかんことあらへんやろ!
やっぱ、ちょっと陽焼けした気がする。固より黒いけど。
さて、今回の遍路のテーマ曲は二つ。
一つはもちろん般若心経のラップ。心憎いです。
二つ目は、高知あたりでラジオからたまたま流れた曲。
MINMIの「シャナナ☆」。テンションええわー。聴きまくってる。
さて、昨日はミナミに行ってきた。大阪人やのに初の道頓堀。
難波からほんまにすぐやってことすら知らへんかった。
んで、日本橋と新世界を歩いて、天王寺から帰った。
このところの奔放ぶり、自分はまだ学生上がりどころか学生なんちゃうか。
まぁ、あかんことあらへんやろ!
7.9.09
びんづるさま
軽自動車で、四国八十八ヶ所霊場の通し打ちをした。
八月三十日に出立し、九月六日に帰宅。
うち投宿、車内泊がともに三度。
初日は明石海峡大橋を抜けて四国入りし、
第一の霊山寺から第十の切幡寺までを行う。
二日目は第十一の藤井寺から第二十三の薬王寺に至り
発心の阿波は終了。
三日目は室戸岬の最御崎寺から第三十四の種間寺まで参り
夜は高知市内を歩き、高知城を上れるところまで見学。
四日目は土佐市清瀧寺に始めて足摺の岬を経て
修行の土佐を過ぎ菩提の伊予で、さらに道を行った。
西予の明石寺(第四十三)を夜に拝し、
内子を通って久万高原へ。
翌日は早速、同町の大寶寺に始める。
今治市第五十五番南光坊にて五日目を終え、
松山市に戻って夕食と温泉。
六日目は泰山寺から、伊予最後の第六十五番三角寺。
七日目の雲辺寺より涅槃の讃岐に至り、
空海生誕の善通寺にも参拝。
八日目、七十八番郷照寺から大窪寺にまで行い、
遍路の旅は無事に了った。
旅程をこうして綴るは易いが、各院どれにも思いがある。
山深くの箇所があれば同じ境内に二箇所を通ったり、
駐車場の場所に迷ったり、乱暴な道行きもあった。
しかし、少なくない出会いや発見もあった。
ここには書けない。多すぎる。
自分にとって、今回の遍路は巡礼というより旅だった。
不思議な体験も、信仰の芽生えもなかった。
だが、全箇所を廻るという唯一の目的を達して
「還俗」した自分が、これから(大文字での)旅で何ができるか。
八月三十日に出立し、九月六日に帰宅。
うち投宿、車内泊がともに三度。
初日は明石海峡大橋を抜けて四国入りし、
第一の霊山寺から第十の切幡寺までを行う。
二日目は第十一の藤井寺から第二十三の薬王寺に至り
発心の阿波は終了。
三日目は室戸岬の最御崎寺から第三十四の種間寺まで参り
夜は高知市内を歩き、高知城を上れるところまで見学。
四日目は土佐市清瀧寺に始めて足摺の岬を経て
修行の土佐を過ぎ菩提の伊予で、さらに道を行った。
西予の明石寺(第四十三)を夜に拝し、
内子を通って久万高原へ。
翌日は早速、同町の大寶寺に始める。
今治市第五十五番南光坊にて五日目を終え、
松山市に戻って夕食と温泉。
六日目は泰山寺から、伊予最後の第六十五番三角寺。
七日目の雲辺寺より涅槃の讃岐に至り、
空海生誕の善通寺にも参拝。
八日目、七十八番郷照寺から大窪寺にまで行い、
遍路の旅は無事に了った。
旅程をこうして綴るは易いが、各院どれにも思いがある。
山深くの箇所があれば同じ境内に二箇所を通ったり、
駐車場の場所に迷ったり、乱暴な道行きもあった。
しかし、少なくない出会いや発見もあった。
ここには書けない。多すぎる。
自分にとって、今回の遍路は巡礼というより旅だった。
不思議な体験も、信仰の芽生えもなかった。
だが、全箇所を廻るという唯一の目的を達して
「還俗」した自分が、これから(大文字での)旅で何ができるか。
23.8.09
古井由吉『円陣を組む女たち』/逗子から鎌倉へ抜ける
十時半、逗子駅に停まった電車から降立った人々は、
みなサンダルであり、すぐに脱いで水着になれる恰好で
歩いていた。その流れは海へと繋がれていて、
楽しそうにしゃべりながら足を進めていた。
浜は人ごみだった。
頭の空っぽな楽しさが間延びしたような陽気さだった。
海は綺麗なのにヨットや水上バイクで渋滞していた。
靴の私は浜沿いの国道を歩き、平べったい楽園を遠ざかった。
山道に入る。鬱蒼とした草木の緑が、途端に海を覆い隠す。
ただ登る。足を取られそうなぬかるみ、半ば崩れた階段も。
蝉や虫の声の奥に追いやられて、水上バイクの騒音は依然聞こえる。
だがそれもゆっくり遠ざかり、突如、披露山公園に出ている。
葉山から江ノ島まで、湘南が一望できる。
海も空も、ぼかしたような締まらない色をどこまでも拡げている。
少しだけ色の濃い海のところどころに、ヨットとその引いた波がある。
富士山も見えるらしいが、夏の午は霞んだ江ノ島で充分。
披露山庭園住宅はどの家も庭も広大で、手入れの欠けたところがない。
道も広く電線はない。歩いても歩いても景色が進まない。
ようやく出ると家々の間隔がぐっと狭くなり、見慣れた宅地に戻る。
その間を縫う細い道を、小坪マリーナへと下る。
小坪マリーナは川端康成の自殺した地として有名。
材木座海岸を通っても観光一色の海だから、名越切通しに向かう。
時間の死んだような道路をひたすら汗を拭って歩く。
ロードバイクが幾台も、海を目指して駆け下りてゆく。
再び近づく山の緑。道路を逸れて階段を上り、山道に入る。
名越切通しは鎌倉七口の一、名は「難越」に由来するという。
岩盤に細い道を貫いただけの無骨なその姿は、いかにも切通しという趣き。
鎌倉がいかに地の利を防御に用いた設計か、大いに実感できる。
草が顔を撫で、虫が無数に飛び交い、晴天続きなのにぬかるみに靴をとられる。
曼荼羅堂跡への道は、落書き等が絶えないらしく塞がれていた。
岩盤に刳り貫いた横穴に、石塔や地蔵が置かれ、異様な雰囲気なのだという。
鎌倉の果ての境目にして、彼岸と此岸の境目だったのだという。
再び陽の下に姿をさらせば、すでに鎌倉市に入っている。
さっき抜けた山を、トンネルが横須賀線を通している。
山際の田舎の景色を、人を満載した鉄道が揺さぶる。
行けば、日蓮宗の寺が二つある。長勝寺と安国論寺。
ナショナリズムとしての仏教を立てて他宗排斥に臨んだタカ派宗派の色が、
偶像の明示と、比較的派手な様式にも表れているように感じた。
日蓮を皇国史観から紹介した1941年設置の碑さえ、安国論寺の門前に残る。
このタカ派さが、創価学会や立正佼成会といった日蓮宗系新興宗教の多さかもしれぬ。
あとはただ鎌倉駅へ向けて歩き、帰宅した。
みなサンダルであり、すぐに脱いで水着になれる恰好で
歩いていた。その流れは海へと繋がれていて、
楽しそうにしゃべりながら足を進めていた。
浜は人ごみだった。
頭の空っぽな楽しさが間延びしたような陽気さだった。
海は綺麗なのにヨットや水上バイクで渋滞していた。
靴の私は浜沿いの国道を歩き、平べったい楽園を遠ざかった。
山道に入る。鬱蒼とした草木の緑が、途端に海を覆い隠す。
ただ登る。足を取られそうなぬかるみ、半ば崩れた階段も。
蝉や虫の声の奥に追いやられて、水上バイクの騒音は依然聞こえる。
だがそれもゆっくり遠ざかり、突如、披露山公園に出ている。
葉山から江ノ島まで、湘南が一望できる。
海も空も、ぼかしたような締まらない色をどこまでも拡げている。
少しだけ色の濃い海のところどころに、ヨットとその引いた波がある。
富士山も見えるらしいが、夏の午は霞んだ江ノ島で充分。
披露山庭園住宅はどの家も庭も広大で、手入れの欠けたところがない。
道も広く電線はない。歩いても歩いても景色が進まない。
ようやく出ると家々の間隔がぐっと狭くなり、見慣れた宅地に戻る。
その間を縫う細い道を、小坪マリーナへと下る。
小坪マリーナは川端康成の自殺した地として有名。
材木座海岸を通っても観光一色の海だから、名越切通しに向かう。
時間の死んだような道路をひたすら汗を拭って歩く。
ロードバイクが幾台も、海を目指して駆け下りてゆく。
再び近づく山の緑。道路を逸れて階段を上り、山道に入る。
名越切通しは鎌倉七口の一、名は「難越」に由来するという。
岩盤に細い道を貫いただけの無骨なその姿は、いかにも切通しという趣き。
鎌倉がいかに地の利を防御に用いた設計か、大いに実感できる。
草が顔を撫で、虫が無数に飛び交い、晴天続きなのにぬかるみに靴をとられる。
曼荼羅堂跡への道は、落書き等が絶えないらしく塞がれていた。
岩盤に刳り貫いた横穴に、石塔や地蔵が置かれ、異様な雰囲気なのだという。
鎌倉の果ての境目にして、彼岸と此岸の境目だったのだという。
再び陽の下に姿をさらせば、すでに鎌倉市に入っている。
さっき抜けた山を、トンネルが横須賀線を通している。
山際の田舎の景色を、人を満載した鉄道が揺さぶる。
行けば、日蓮宗の寺が二つある。長勝寺と安国論寺。
ナショナリズムとしての仏教を立てて他宗排斥に臨んだタカ派宗派の色が、
偶像の明示と、比較的派手な様式にも表れているように感じた。
日蓮を皇国史観から紹介した1941年設置の碑さえ、安国論寺の門前に残る。
このタカ派さが、創価学会や立正佼成会といった日蓮宗系新興宗教の多さかもしれぬ。
あとはただ鎌倉駅へ向けて歩き、帰宅した。
22.8.09
是枝裕和『花よりもなほ』/夏の夜の音
是枝裕和『花よりもなほ』
おもしろい映画だった。結末もよかった。うまく紡がれて廻った感じ。
でも、親の仇、戦死した父親、太平の世の武士という自家撞着的存在、etc.、etc.…。
人はそんなにも過去に落とし前をつけないといけないものかね。
ねじ曲がった過去を正していけば、おのずとストーリーになるんだろうけど。
でも、こんなことを云っては、かなり多くの物語に茶々を入れてしまうなぁ……。
自分は、ただがむしゃらに、やり過ごすようにして時を生きてきたから、
ひとたび昔を振り返れば、過去はまるで
手のつけられなくなった不法投棄のように、山をなしている。
結ばれなかった許嫁、というのも出てくるが、
人は実際にはそんなにねちっこくないと思う。経験上。
心底から頼った掌を返されること数知れず。
その落下経験の多さは、私を打たれ強くするのではなく、
掌を頼ることそのものを忌避させるようになった。
最近、ドライだと云われる。自分でもそう思う。
所詮は表面の付き合いだから、湿けている必要を感じない。
茨木のり子だったと記憶しているが、
「乾いた感受性を人のせいにするな」みたいな詩があった。
何だよその精神論は、と、今は思う。
------
私の家は、丘の登り坂が勾配を次第に急に傾ける中腹にあり、
夏でも夜は涼風が窓から入り、対面の窓から抜ける。
窓の外、木々と下草の風に揺れるあたりは、夜なので漆黒の闇だが、
そこからスズムシの鳴き声がやわらかく響いてくる。
ときどき遠い踏切の警報音が混じり、
このとき耳を凝らせば、電車が線路を駆ける音が仄聞こえる。
おもしろい映画だった。結末もよかった。うまく紡がれて廻った感じ。
でも、親の仇、戦死した父親、太平の世の武士という自家撞着的存在、etc.、etc.…。
人はそんなにも過去に落とし前をつけないといけないものかね。
ねじ曲がった過去を正していけば、おのずとストーリーになるんだろうけど。
でも、こんなことを云っては、かなり多くの物語に茶々を入れてしまうなぁ……。
自分は、ただがむしゃらに、やり過ごすようにして時を生きてきたから、
ひとたび昔を振り返れば、過去はまるで
手のつけられなくなった不法投棄のように、山をなしている。
結ばれなかった許嫁、というのも出てくるが、
人は実際にはそんなにねちっこくないと思う。経験上。
心底から頼った掌を返されること数知れず。
その落下経験の多さは、私を打たれ強くするのではなく、
掌を頼ることそのものを忌避させるようになった。
最近、ドライだと云われる。自分でもそう思う。
所詮は表面の付き合いだから、湿けている必要を感じない。
茨木のり子だったと記憶しているが、
「乾いた感受性を人のせいにするな」みたいな詩があった。
何だよその精神論は、と、今は思う。
------
私の家は、丘の登り坂が勾配を次第に急に傾ける中腹にあり、
夏でも夜は涼風が窓から入り、対面の窓から抜ける。
窓の外、木々と下草の風に揺れるあたりは、夜なので漆黒の闇だが、
そこからスズムシの鳴き声がやわらかく響いてくる。
ときどき遠い踏切の警報音が混じり、
このとき耳を凝らせば、電車が線路を駆ける音が仄聞こえる。
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