是枝裕和『花よりもなほ』
おもしろい映画だった。結末もよかった。うまく紡がれて廻った感じ。
でも、親の仇、戦死した父親、太平の世の武士という自家撞着的存在、etc.、etc.…。
人はそんなにも過去に落とし前をつけないといけないものかね。
ねじ曲がった過去を正していけば、おのずとストーリーになるんだろうけど。
でも、こんなことを云っては、かなり多くの物語に茶々を入れてしまうなぁ……。
自分は、ただがむしゃらに、やり過ごすようにして時を生きてきたから、
ひとたび昔を振り返れば、過去はまるで
手のつけられなくなった不法投棄のように、山をなしている。
結ばれなかった許嫁、というのも出てくるが、
人は実際にはそんなにねちっこくないと思う。経験上。
心底から頼った掌を返されること数知れず。
その落下経験の多さは、私を打たれ強くするのではなく、
掌を頼ることそのものを忌避させるようになった。
最近、ドライだと云われる。自分でもそう思う。
所詮は表面の付き合いだから、湿けている必要を感じない。
茨木のり子だったと記憶しているが、
「乾いた感受性を人のせいにするな」みたいな詩があった。
何だよその精神論は、と、今は思う。
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私の家は、丘の登り坂が勾配を次第に急に傾ける中腹にあり、
夏でも夜は涼風が窓から入り、対面の窓から抜ける。
窓の外、木々と下草の風に揺れるあたりは、夜なので漆黒の闇だが、
そこからスズムシの鳴き声がやわらかく響いてくる。
ときどき遠い踏切の警報音が混じり、
このとき耳を凝らせば、電車が線路を駆ける音が仄聞こえる。
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