23.8.09

古井由吉『円陣を組む女たち』/逗子から鎌倉へ抜ける

十時半、逗子駅に停まった電車から降立った人々は、
みなサンダルであり、すぐに脱いで水着になれる恰好で
歩いていた。その流れは海へと繋がれていて、
楽しそうにしゃべりながら足を進めていた。

浜は人ごみだった。
頭の空っぽな楽しさが間延びしたような陽気さだった。
海は綺麗なのにヨットや水上バイクで渋滞していた。
靴の私は浜沿いの国道を歩き、平べったい楽園を遠ざかった。

山道に入る。鬱蒼とした草木の緑が、途端に海を覆い隠す。
ただ登る。足を取られそうなぬかるみ、半ば崩れた階段も。
蝉や虫の声の奥に追いやられて、水上バイクの騒音は依然聞こえる。
だがそれもゆっくり遠ざかり、突如、披露山公園に出ている。

葉山から江ノ島まで、湘南が一望できる。
海も空も、ぼかしたような締まらない色をどこまでも拡げている。
少しだけ色の濃い海のところどころに、ヨットとその引いた波がある。
富士山も見えるらしいが、夏の午は霞んだ江ノ島で充分。

披露山庭園住宅はどの家も庭も広大で、手入れの欠けたところがない。
道も広く電線はない。歩いても歩いても景色が進まない。
ようやく出ると家々の間隔がぐっと狭くなり、見慣れた宅地に戻る。
その間を縫う細い道を、小坪マリーナへと下る。

小坪マリーナは川端康成の自殺した地として有名。
材木座海岸を通っても観光一色の海だから、名越切通しに向かう。
時間の死んだような道路をひたすら汗を拭って歩く。
ロードバイクが幾台も、海を目指して駆け下りてゆく。

再び近づく山の緑。道路を逸れて階段を上り、山道に入る。
名越切通しは鎌倉七口の一、名は「難越」に由来するという。
岩盤に細い道を貫いただけの無骨なその姿は、いかにも切通しという趣き。
鎌倉がいかに地の利を防御に用いた設計か、大いに実感できる。

草が顔を撫で、虫が無数に飛び交い、晴天続きなのにぬかるみに靴をとられる。
曼荼羅堂跡への道は、落書き等が絶えないらしく塞がれていた。
岩盤に刳り貫いた横穴に、石塔や地蔵が置かれ、異様な雰囲気なのだという。
鎌倉の果ての境目にして、彼岸と此岸の境目だったのだという。

再び陽の下に姿をさらせば、すでに鎌倉市に入っている。
さっき抜けた山を、トンネルが横須賀線を通している。
山際の田舎の景色を、人を満載した鉄道が揺さぶる。
行けば、日蓮宗の寺が二つある。長勝寺と安国論寺。

ナショナリズムとしての仏教を立てて他宗排斥に臨んだタカ派宗派の色が、
偶像の明示と、比較的派手な様式にも表れているように感じた。
日蓮を皇国史観から紹介した1941年設置の碑さえ、安国論寺の門前に残る。
このタカ派さが、創価学会や立正佼成会といった日蓮宗系新興宗教の多さかもしれぬ。

あとはただ鎌倉駅へ向けて歩き、帰宅した。

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