7.8.08

内向

「内向の世代」。
誰もが知っているとおり「第三の新人」に続く作家たちをいう言葉だが、
あまり結びつきは強くなかったらしい。

後藤明生『挟み撃ち』を読んだ。
ゴーゴリの『外套』に肉付けしたようであり、また別の作品でもある。
どんな人間も個性なんて申し訳程度にも持ち合わせてなんかいない。
誰にでもあるような、或はちょっとだけ珍しいかもしれない出来事・出会いの羅列の中で
自ら勝手に組み立てた一貫性のことを、烏滸がましくも人は個性などと呼び、
先天的なものであると勘違いしつつ、生きているだけなのだ。
うすうすわかっているけれど、こんなにはっきり飄々と宣告してくれなくても良いのに。
……そんな、大変面白い小説だった。あっという間に読めてしまった。

黒井千次『聖産業週間』を読んだ。
これもまた現代的、というか、最近の文学こそかくあるべし。
なんで最近の小説はおおかたが単なる日記なのかね。
それはもういいとして、『聖産業週間』。
就活支援の場で、働くということは生きがい云々とか云っている無脳に贈りたい。
高度資本主義社会、誰独り社会の全体構造を把握している人がいない社会で、
この一個人が働く、ということが果たして何の意味を持つ?

そうそう、内向の世代の共通点は、みな作家になる前はサラリーマンだったということ。
サラリーマン作家の元祖として、経済成長期を描いてきた作家たちの問題意識が、
かなり直接的に現代にも生きているというのは、これいかに?

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