voix
voie
(je/tu/il/elle) voie(s)
どれも同じ発音だけれど、声、道、視る、……好きな短篇映画を思い出した。
声について。
声が聞きたいからSkypeをして声を聴く。
この距離は声しか届かないし、それも電気信号にコード化され、解読されたものだが、
いつもより優しく聞こえるのは、自我の発露だろう。
あるいは、それは再発見だ。
初対面の人に、まったく関西なまりがありませんね、と感心(?)された。
横浜での出来事。
私見では、横浜弁と東京弁はえらく違う。
東京はべらんめえ調、横浜はそれにぼかしを加えたようで、より柔らかい。
比較すると、両者とも東北弁との何かしらの共通項があり、両者とも関西弁とは異質だ。
西日本と東日本、広葉樹林帯と針葉樹林帯で決定的な差異がある、
この網野善彦の説に初めて触れた何年前かの初夏、衝撃的だった。
消えた自分の大阪弁は、帰阪して数日経ったいまではもう無意識なものになったけれども、
それは、記憶の奥にある外套。ニコライ・ゴーゴリ。後藤明生。
« Très bien. »を「トレ・ビアン」というのがフランスなら、マルセイユはフランスではない。
寧ろ、フランスって何?
南仏はイタリアっぽい、あるいはスペインっぽい。フランスじゃない。
アルザスはドイツすぎる。フランスじゃない。
ブルターニュ? ブリテンじゃないか。フランスじゃない。
フランスじゃない、フランスじゃない、……。
何が残る? ──Rien.
「フランス」をあらゆる名詞に置き換えるまでもなく、気づいたこと。
形容詞とはステレオタイプである。
深夜、一日の重力にとうとう耐えられないその声を
俺は静かに揺さぶって、なでる。
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