大江健三郎『万延元年のフットボール』を、ここ三日ほどで読了。
あまりに作品の世界が大きくて重厚なので、嘆息するしかない。
万延元年、敗戦、安保闘争の現代、それぞれが愛媛の小さな山村で絡みあい、
共鳴しあい、新しい歴史をも動かしてゆく。
想像力とは何か、歴史とは何か。
歴史とは、時間軸的に過去を固定されている以上どうしても硬直してしまった、
想像力の残滓である、というような印象を持った。
なお、この作品が自分にとってそれ自体としても非常に面白いのだけれども、
村上春樹のイメージ群のネタ元でもあるので、
『1973年のピンボール』を主に、「鼠」「井戸」「羊」などの意味が
ほどけてゆくところが多々あって、種明かしをされているようで楽しめた。
村上春樹が好きだからといって大江健三郎(や庄司薫も?)を読まずに
卒論などのテーマにするというのは、アホだ、と思った。
『競売ナンバー49の叫び』は目下の読書中ではある。
意味の連なりが、あまりに「ブンガク星」の優等生、という感じ。
どうなんだろうねぇ、もちろんそれはピンチョンの文体であって、
別の作品全体の意図もあるんだけれども。
林京子『祭りの場』を読み始めた。
実は高校生のときに読んでいたが、ほぼ忘れてしまっている。
淡々と、ユーモアさえ絡めて原爆体験を語る、
その乾いた口調が逆に背中に張りつく。
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