エリック・ロメール『海辺のポーリーヌ』
(« Pauline à la plage » d'Éric Rohmer )
やっぱり追求すると愛って摑めないものなんだねぇ。
今の自分の境遇に、ほんのちょっとした慰めになったような気がする。
それにしても、軽々と大それたことを見せつけてくるね、ロメールは。
小津安二郎に妖艶さを溶かし込んだ感じか。
海がなんともいえず良い。
中沢けいの『海を感じる時』と同じような、
未熟な、世界の端にあって、何か魅了される、そんな海。
村上重良『新宗教 その行動と思想』
明治前後から戦後にかけて林立した新興宗教は数知れないが、
天理教、金光教、PL、立正佼成会、創価学会などよく知られたものを
その成立、宗教観と、駆け足ながら要点を押さえて概説したもの。
たいていどの国でも信仰の自由は保障されているが、
なぜ日本において、このような比類ない宗教の多さがみられるのか、
概説ではあるがその理由がおぼろげながら見えてくる。
(メモ、考察)
・明治政府の国家神道体制に乗っかる形で
新興宗教の多くは萌芽・揺籃期を経た後、
教派神道と認められることで、政府からの弾圧を防いだ。
これは、明治政府の国家神道体制が、
実質は宗教国家でありながらも、
「神道は宗教ではない」と建前づけられたものであった、という
背反する二面性の隙間をつくようなものである。
斜陽期・安定期に右傾化を経る事例が多いのは、
宗教であるのに権威を得られぬため、
不足分を国家権力から「注入」しようとしてか。
・新興宗教を弾圧する際に不敬罪を立ててしまうと、
国会神道との教義のぶつけ合いが
天皇の正統性の相対化へと帰着する恐れがあった。
それを防ぐため、あえて精神病ということで
不問に附す、というやり方で水に流すこともあった。
(『狂気と王権』の主張に合致)
・新興宗教に神道系や仏教系などネタ元があるのは、
教祖の宗教観が、堀一郎のいう「民間信仰」に育まれるからと考えてよい。
・法華系の新宗教は、日蓮そのものが先鋭的かつ排他的だった伝統をふむ。
・創価学会の思想の特徴は、「価値観の優劣」「民主主義と相容れない中世的政治観」。
「公利=善」であるから、公利は価値の最上級に位置づけられる。
「創価」の名の示すとおり、公利の規定は創価学会の私釈にゆだねられる。
つまり、信者の価値観、生き方が創価学会本位となる。
何なんでしょう。いや、むしろ、どれなんでしょう。
自分は阿部和重『ニッポニアニッポン』みたいな、
中心人物がぽっかり空いちゃってる日本風刺を観た。
いいでしょう、山椒魚がタイトルでもあって、ど真ん中にいるんだから。
でも、それだけじゃない。もっといろいろある。
もう一度、時間をあけて観たい作品。