北鎌倉駅に降りた。
円覚寺へは駅下車徒歩五分とかからない。
その唐様の舎利殿で名高い。
しかし、臨済宗の日本に導入された経緯を鑑みるとむしろ、
唐様をおいて他があり得ないと知れる。
さらには、唐「様」として日本化されるところに、
日本の風土の一般形を感じる。
鎌倉時代・室町時代の新しい大陸との結びつきとして禅宗が機能したことは、
建長寺が明らかに中国の影響を受けた様式であることから、容易に見て取れた。
もう一つの日本の首都だった京都に対抗して
文明の先進性を確保しようという執権の意図は、
後に院政にも踏襲された。
一つ一つの建物、庭園がでかい。敷地も広い。平地の少ない北鎌倉にもかからわず。
これも京都の仏教への対抗心なのだろうか。
扇ガ谷の切り通しを抜け、小寺院の脇を抜けて、横須賀線に平行するように南下。
初め、次に来たときのために帰浜しようと思っていたが、
さほど海までは遠くないらしかったので、さらに南下して由比ケ浜へ。
五時を過ぎても明るい空と海を前に、ゆっくりしようかとも思ったが、
人の多さに辟易して切り上げて、再び鎌倉駅へ。
そこから帰浜。
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