21.8.09

塚本邦雄『定家百首』、ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

・塚本邦雄『定家百首』

しばしば技巧的に過ぎるといわれる新古今の、
代表歌人である藤原定家。
その名歌の百首を編んで訳と解説を附した著作。
打ち消しの美学と余韻、現実ではなくイデア世界の描写、
時間推移までも読み込む言葉択び、などなど、
和歌に明るくない自分でもはっとするような和歌ばかりで、
800年前の和の繊細さ・藝術性に驚かされた。


・ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

人は外部に規定される。
「学校」があるから生徒を演じ、「恋」があるから恋人を演じる。
そんな、普通の捉えられ方からの顛倒に人間の本質を見るのは、
経験主義ではヒュームの「知覚の束」であったり
サルトルの「l'être d'autrui」だったりする。
……とまぁ、そんな固い話は措いておいて、
『フェルディドゥルケ』は、うまいこと場の空気にあわせようとして
頑張るんだけど、やっぱり居心地が悪くて暴れちゃう、みたいな話。
それは「恋」に至ってすらそうだ。

 恋する気持はしあわせの一語に尽きるということを知っていたので、幸せだった。

となってしまう。「恋をしていたので幸せだった」のではない。
恋をする者に幸せを強いるような暗黙の了解が至るところにあって、
主人公だけがそこを抜け出そうとしてもがき苦しみ続ける。
主体ってどこよ? そんな哲学的な主題を
グロテスクにパロディ化した小説として、自分は読んだ。

0 件のコメント: