・宮坂宥勝『空海』
四国遍路の予習として読み始めたのに、読み了えたのは今日になってしまった。
空海とその著作を中心に、あれこれの雑誌に寄稿された小論をまとめたもので、
統一感はなく話の重複がけっこうあって、
空海の入門書としては仏教史や用語に不慣れでは読みづらかった。
まぁ、概観できたからいいかな、とも思うが。
四国遍路の成立に関する記事は、実際に行っていただけあって、
場所や雰囲気等が実感でき、面白く読めた。
・黒沢清『カリスマ』
個の而立か集団の調和か。
相反する二者をめぐって外部が繰り広げる戦い。
重要なのは、排他的な一者をカリスマと名づけるのは外部だ、ということだ。
あるいは、カリスマと名づけられたから排他的な而立になるのかもしれない。
これは、薮池が桐山にカリスマだと云われたことと、最後の結末とを結びつけると、そうなる。
カリスマの死が集団の調和を乱すということなのか。
カリスマ、という語でこの映画を括ると、そういうことになる。
だが、薮池いわく、「森は森ではなく、木が一本一本あるだけだ」。
カリスマという幻想をめぐって周りが動くが、
その幻想そのものはあっけなく燃やされて果てる。そういうことだ。
だが…ならあの結末はどういうことなのだろうか?
直前の部長の携帯電話での問いかけは、意味を求めて虚しく伸びた腕のようだった。
それすらあっさりと受け入れられてこそ、
そういった二項対立(その極地としての現実-幻想)を越えた「カリスマ」だ、ということ?
え、じゃあ龍樹みたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿