昨日まで三日間、連続してプールで泳いだ。
今日は休刊日、そう思い立って午后三時に出立。
保土ケ谷区岩井町の東トンネルを経て坂を上り、清水ヶ丘公園。
休日ののんびりした雰囲気で、家族も多い。
東を望んでも海面は見えるか見えないかだ。
坂を下り、市立横浜商業高校の脇を抜けて蒔田へ。
あとは大岡川に沿って平坦な道が続き、
バイパスをくぐれば吉田新田内となる。
坂の多い横浜で唯一、平地が続くところだ。
伊勢佐木へのんびりとペダルを漕ぐ。
道路はまっすぐで区画は条里のようだが、
街の雰囲気が大阪っぽい雑多な下町であることに気づいた。
休日の夕時前というのもあるのかもしれないが、
のんびりとした活気は天王寺のよう。いや、鶴橋か。
横浜がこんなにも親しみやすさをもって近づいてきたのは初めてだった。
関外から関内へ近づく。吉田新田内には二つ、視るべきものがある。
一つは黄金町。
旧青線地帯であり横浜一の麻薬地帯、人種の坩堝だったところだ。
いまでは浄化作戦が功を奏したか、面影は半ば消えている。
もう一つは関内の裏手の寿町。
東京の山谷、大阪の釜ヶ崎に並ぶドヤ街として知られる。
恥ずかしいことに、日雇い労働の街に踏み入れたのは初めてだった。
大阪に生まれ育ち、友人の親が「カマやん」の作者であるにも拘らず。
寿町は石川町駅からほど近い。
同様に、山手の高級住宅街も目と鼻の先だが、
中村川とその上の首都高によって断ち切られている。
寿町に入ると、まず初老男性の多さですぐにわかる。
ドヤの多さ、路上で寝ている人、酒の臭い。
ゴミ捨て場でゴミ袋の堆積に並んで蒲団が敷いてあったり、
路上での飲酒を禁じる看板が掲げてあるそばで地べたの酒宴をしていたりする。
これはカルチャーショックだった。
みながみな初老で、だらっとしている。
しかし責めることはできない。彼らは間違いなく、
高度経済成長を文字どおり背負って年老いていった。
思い出したのは、ある漫画での科白だった。
だいたいこんな科白だった。
「ほんまに資本主義が徹底されとったら、日本中が釜ヶ崎や」
(ありむら潜『HOTEL NEW 釜ヶ崎』)
関内へ抜け出る道はほんのわずかに上る。
埋め立て地ではなく本来の横浜村だった証だ。
横浜スタジアムでは阪神戦が終わったところだったようで、
あのユニフォームを着た応援の人々が散見された。
象の鼻パークを過ぎ、みなとみらいの海岸に沿って走る。
至るところ、滑稽なほどカップルが多い。何が楽しいのだろう?
何が楽しかったのだろう? という自問にもなった。
桜木町を過ぎ日産自動車新社屋を越え、
横浜駅を抜けて帰宅。横浜はあまりに人が多い。
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