『体制は、その人物を偉人として誉め上げることによって、
自分の秩序の中に組みこんでしまう』。
そうして、時代の秩序に組み込まれてしまった、時代への反逆精神は、
もはや単に聖なる真理と化してしまう。
イエスとはそのような人物であった。
決してメシアでもなく聖人でもなく、
単に体制のドグマを批判したアツい男だっただけだ──
このような視点から、徹底して史的イエスのありのままの姿を探る。
ユダヤ教に雁字搦めになった生活を批判し、
「幸せって、もっとささやかなものだよね」と云っただけの男、
イエスはそういう奴だった。
それだけのことだ、しかしキリスト教という巨大勢力を前に、
こんなことが云えるというのがすごい。
実際、田川は国際基督教大学を、イエスを脱・聖性しようとしたからか、
不当に解雇されている。
原点回帰、意味ずらし。
この手法こそが知性だと、私は思う。
マルクス主義に対する『マルクスその可能性の中心』しかり、
大江健三郎『万年元年のフットボール』に対する
村上春樹『1973年のピンボール』しかり。
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