26.4.10

若林幹夫『郊外の社会学』

郊外の形成とその思想。
自分にとって収穫だったのは、パルコの文化的なイメージ戦略だった。
おそらくその上位には現代思想ブームがあるのだろう。
古くはボードレール、そしてベンヤミンが明らかにした、商品的な生活が、
郊外にはうずたかく積まれて、新築された瞬間から黴び始めている。
それを更新しつつ、郊外は生き続ける。

また、郊外は都市との関係性(sub-urb)でのみ成立し、
それは都市の外部に厚みをもって広がる匿名性のベッドタウンであるということ。
そして、その有様が、戦後このかたの住宅供給の長い歴史の中で、
住宅や生活がブランド性を志向しておきながら
実際にはそうではなかったという本音の結末なのだ。
匿名の存在であることを多くの人が望んだ結果である、という
宮台真司の(すごく宮台らしい)指摘の似合う結末。

触れられていなかったが、この匿名の漸進に対応するようにして、
都心は急激に消費社会の発信源となっている。
郊外の顔のなさは、それ自体としての特徴でありながら、
やはり都心との対比によって捉えられる代物ではないだろうか。
また、ワンルーム=実家、という主従関係を
各個室=リビング、の拡張概念として捉える思考は、なかなか興味深かった。

新書を読んだのは久しぶり。あまりに読みやすくて2時間もかからなかった。

20.4.10

トマス・ピンチョン『V.』

生きているうちに読めるのだろうか、と内心で按じていた小説。
かくも浩瀚な物語! とでもいうべき読後感は、満腹そのもの。
巻末のVノートを読めば、一通りその世界観は俯瞰できるので、
あえてここには記さない。

プロフェインの生きる現在の漠然とした怠惰な日常から
透かし出される、歴史のカナメの残存から、
ステンシルがそれらを遡行して探求して
ついにV.が(語り手によって)明かされるまでの本流と、
その譬喩や寓意を散りばめられた無数の挿話。
この厖大な情報量そのものが、浩瀚と感じさせる由縁。

ステンシルの探求する、ステンシル父の生きた時代への収斂、
そして、それらが、温室=街頭の二項対立へと収斂する。
ちょうどV字の下部のように。
この二項対立が、他のそれをすべて収斂してゆく。
男女、地上と地下、海と陸、西洋と東洋、大人と子供、
右翼と左翼、過去と未来、etc.、etc.、……。
ものでありかつ生命である、この二項対立の収斂者たるV.、
そして、V.はどこから派遣されたのか?

はっきり云って、一読ではさっぱりわからない。
何度も読んでは附箋を加えていかないと、全体像は摑めそうにない。
逆に、いくらでも読めば発見がありそう。

エントロピー的というよりむしろサイバネティクス的だと、読んで感じた。
複雑系を文学に模写する試みとしての文体は、エントロピー的であるにしても。

2年ほど前にふと気づいたことだが、
物語は構造と題材からなり、前者は有限、後者はほぼ無限だ。
後者をめまぐるしく入れ替えながら、前者の類型を無数に積み重ね、
その随所にリンクを貼る。
『V.』はそのようだと感じた(だから何、というくらい大雑把な捉え方だが)。
だから、小林恭二の『小説伝』を思い出させもした。

19.4.10

トム・ティクヴァ『ラン・ローラ・ラン』、フランソワ・トリュフォー『ピアニストを撃て』

・トム・ティクヴァ『ラン・ローラ・ラン』

20分以内に大金を用意するという難題と
そのために走る主人公、という主題がそうだが、
カット多用、BGM、すべてスピード感に満ちている。
三回、主題となる20分がなされる。
階段を駆け下りるときのわずかな時間のズレによるもので、
その時間差により、随所々々の出来事が、シナリオが変化する。
偶然によって支配された外界との邂逅も、
意外な親和感をもって立ち現れてくるように感じて、不思議だった。
ボルヘスの短篇「八岐の園」を思わせた。


・フランソワ・トリュフォー『ピアニストを撃て』

ピストルの撃ち合いが、アメリカ映画っぽかった。
それでいて、ピストル的な刹那の勝敗ではなく、
しかも、そのようなアメリカ映画っぽさをフランスのエスプリで包むような
気の利いた科白なんかもあって、面白かった。
いいなぁ、トリュフォー。

4.4.10

中島隆博・小林康夫編『いま、<古典>とはなにか』

東京大学「共生のための国際哲学交流センター」ブックレットの一つで、
「クラシカル・ターンを問う」という副題が附いている。
無駄に漠然とした空論が訓古学的に廻転するだけのマニフェストかと懸念したが、
かなり実のある対談が収録され、読みやすくもあり、よかった。
和辻哲郎批判はラディカルで面白かった。

が、それより何より、やはり日本の人文科学の閉塞は、
受け皿としての教育機関が、もはや保守的な存在に堕していることが
根源的に問題だろう。
東大が知に活力を再生しようとUTCPを作っても、
それは東大の枠組みであり、教授の下に多くの研究員が非常勤という
組織の規約みたいなところは、何一つ変わっていないのだ。
参考:博士が100人いる村
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/

大学解体とは大学紛争で叫ばれた言葉だが、
それは大正期も同様だ(「大学は出たけれど」)。
現在の大学変革の最大の問題点は、トップダウンであることと、
そのトップが新自由主義的な意志である(あった)こと。
つまり、大学という枠組みは不変なのだ。
その中で、国公私立関係なく、大学がどんどん専門学校化してゆく。
もはやuniversityではなく、単なるcollegesの連合体でしかない。
それでいて、外見や機能(学位生産体、知の集合体)は、変わらない。

古典とは教養主義的な存在だ。
教養部なき(あっても各学部に分断された実情の)現在の大学に、何ができるのか。
もちろん、これは組織の問題ではない。
取り組みは各個人によって手探りで進んでいる。
しかし、それを組織レベルにまで引き上げないことには、
運動の継承は期待できないだろう。

1.4.10

Ipsa scientia potestas est.

  知は力なり。 ──フランシス・ベーコン

知が力であるという、スコラ哲学に対する反感だけではない。
知が権力であるという、来るべき制度を要請する発言である。
実際、ベーコンがデカルトとともに開いた近代において、
知はそのように振る舞えた。資本主義ならぬ知本主義。
一方で、知は啓蒙的であるべきという桎梏に囚われたとはいえまいか。

知が倫理観や良心の足枷に囚われていた、と言い換えてもよい。
サドやイジドール・デュカスが、アンチテーゼ的ながら一つの知であると
認識されるまで、この枷との戦いだった。
マルクス=アウレリウスの『自省録』のような、
主観である自分をも客観的に視ることのできる態度こそが知だった。

啓蒙主義は知か?
思考することを促しはするが、その道筋を過剰に操作するならば
それは洗脳としての危険を孕む。
19世紀の啓蒙君主とは、自分が思考主体となることで
国民の思考を括弧に入れてしまい
近代型の国民国家における国民の均一性を保つ、そういう制度なのではないか。