20.4.10

トマス・ピンチョン『V.』

生きているうちに読めるのだろうか、と内心で按じていた小説。
かくも浩瀚な物語! とでもいうべき読後感は、満腹そのもの。
巻末のVノートを読めば、一通りその世界観は俯瞰できるので、
あえてここには記さない。

プロフェインの生きる現在の漠然とした怠惰な日常から
透かし出される、歴史のカナメの残存から、
ステンシルがそれらを遡行して探求して
ついにV.が(語り手によって)明かされるまでの本流と、
その譬喩や寓意を散りばめられた無数の挿話。
この厖大な情報量そのものが、浩瀚と感じさせる由縁。

ステンシルの探求する、ステンシル父の生きた時代への収斂、
そして、それらが、温室=街頭の二項対立へと収斂する。
ちょうどV字の下部のように。
この二項対立が、他のそれをすべて収斂してゆく。
男女、地上と地下、海と陸、西洋と東洋、大人と子供、
右翼と左翼、過去と未来、etc.、etc.、……。
ものでありかつ生命である、この二項対立の収斂者たるV.、
そして、V.はどこから派遣されたのか?

はっきり云って、一読ではさっぱりわからない。
何度も読んでは附箋を加えていかないと、全体像は摑めそうにない。
逆に、いくらでも読めば発見がありそう。

エントロピー的というよりむしろサイバネティクス的だと、読んで感じた。
複雑系を文学に模写する試みとしての文体は、エントロピー的であるにしても。

2年ほど前にふと気づいたことだが、
物語は構造と題材からなり、前者は有限、後者はほぼ無限だ。
後者をめまぐるしく入れ替えながら、前者の類型を無数に積み重ね、
その随所にリンクを貼る。
『V.』はそのようだと感じた(だから何、というくらい大雑把な捉え方だが)。
だから、小林恭二の『小説伝』を思い出させもした。

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