東京大学「共生のための国際哲学交流センター」ブックレットの一つで、
「クラシカル・ターンを問う」という副題が附いている。
無駄に漠然とした空論が訓古学的に廻転するだけのマニフェストかと懸念したが、
かなり実のある対談が収録され、読みやすくもあり、よかった。
和辻哲郎批判はラディカルで面白かった。
が、それより何より、やはり日本の人文科学の閉塞は、
受け皿としての教育機関が、もはや保守的な存在に堕していることが
根源的に問題だろう。
東大が知に活力を再生しようとUTCPを作っても、
それは東大の枠組みであり、教授の下に多くの研究員が非常勤という
組織の規約みたいなところは、何一つ変わっていないのだ。
参考:博士が100人いる村
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/
大学解体とは大学紛争で叫ばれた言葉だが、
それは大正期も同様だ(「大学は出たけれど」)。
現在の大学変革の最大の問題点は、トップダウンであることと、
そのトップが新自由主義的な意志である(あった)こと。
つまり、大学という枠組みは不変なのだ。
その中で、国公私立関係なく、大学がどんどん専門学校化してゆく。
もはやuniversityではなく、単なるcollegesの連合体でしかない。
それでいて、外見や機能(学位生産体、知の集合体)は、変わらない。
古典とは教養主義的な存在だ。
教養部なき(あっても各学部に分断された実情の)現在の大学に、何ができるのか。
もちろん、これは組織の問題ではない。
取り組みは各個人によって手探りで進んでいる。
しかし、それを組織レベルにまで引き上げないことには、
運動の継承は期待できないだろう。
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