ポール・オースター『ガラスの街』
およそ半年前に読み、そのまま忘れていた小説。
ぱらぱらとめくってみるまで、あらすじをほぼ完全に忘れていた。
そう、都市という孤立した個人が互いに奇妙な境遇で袖すり合うような、
それが一つの物語となって、都市という無機質な場がわずかに神話的に息づくような、
そんな小説だった。
スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』
原題は”Regarding the Pain of Others”。
報道写真論だが、評論というよりエッセイのようなくだけた構成だった。
以下に心に沁みた箇所を抜き書きしておく。
記憶することは以前にもまして、物語を呼び起こすことではなく、ある映像を呼び出すことになっている。[…] 物語はわれわれに理解させる。写真の役目は違う。写真はわれわれにつきまとう。(p.87~88)
同情を感じるかぎりにおいて、われわれは苦しみを引き起こしたものの共犯者ではないと感じる。われわれの同情は、われわれの無力と同時に、われわれの無罪を主張する。そのかぎりにおいて、それは(われわれの善意にもかかわらず)たとえ当然ではあっても、無責任な反応である。(p.101~102)
現実がスペクタクルと化したと言うことは、驚くべき偏狭な精神である。[…]それは誰もが見物人であるということを前提にする。それはかたくなに、不真面目に、世界には現実の苦しみは存在しないことを示唆する。しかし、他の人々の苦しみの見物人になったりならなかったりする、怪しげな特権を享受している富める国々を世界だとみなすのは、途方もなく間違っている。ちょうど、戦争と戦争の巨大な不正・恐怖をじかに体験していないニュースの消費者が、自分の思考枠組みに基づいて、他人の苦しみに反応する能力を一般化するのが途方もない間違いであるように。(p.110)
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