21.3.16

ローラン・ビネ『HHhH』、ジョナサン・クレーリー『24/7』

 ローラン・ビネ『HHhH ──プラハ、1942年』

原題は« HHhH »。
Himmers Hirn heißt Heydrich.(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)の略。
2年ほど前に書店で見かけて以来、その不可思議なタイトルもあって、
ずっと読みたいと思っていた。
体裁は小説だが、その細部に至るまで史実である以上、歴史書でもある。
しかも、そのところどころに作者がため息まじりに独白し、
書くこと、細部を捏造できないこと、望む展開ではないこと、事実への訝しみ、
といった苦しみを読者に対して打ち明ける。
そのことが小説と歴史の相違、でも結局はhistoireであり語られる言葉であるという、
小説のある種の可能性を引き出しているような気もしないでもない。
(そういえば、HHhHって、Histoireとhistoireのせめぎ合いみたいだ)

作者は、史実を文学という形式に変換しなければ、読者の記憶に残らない、
だからこうして書いている、というようなことを書いていた。
確かに、歴史という酷たらしい反面教師を現実に生かすための伝承の手段として、
文学という形式をフィクションの専売特許にとどめおくのはもったいないことだ。
にもかかわらず、その題材そのものが躍動感を帯びているために、
ストーリーは本当におもしろい。

『顔のないヒトラーたち』をつい2週間前に観た。
アイヒマン裁判を扱ったハンナ・アレント『責任と判断』を読んだのは8年前。
ナチス・ドイツがあまりに官僚的にユダヤ人問題に当たったという史実は、
この小説形式の歴史書からもよく読み取ることができた。
第三帝国下からユダヤ人を追放するための土地探しのために、
シオニストとさえ交渉していたとは、知らなかった。
そして、ユダヤ人を処刑するコスト(兵士のストレス、手間、…)の削減のために、
アウシュヴィッツとガス室という解決策へ行き着いたということも。


 ジョナサン・クレーリー『24/7──眠らない社会』

原題は”24/7 Late Capitalism and the End of the Sleep”であり、
副題の示すとおり、情報社会・管理社会における睡眠の危機が示されている。
睡眠という人間性を主軸に、
高度資本主義がいかに人間に食い込んでこようとしているか、
それを語った硬派なエッセイ、といったところだった。

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