『ゆれる』もそうだったけれども、
作品は状況説明と裁きの二部構成のプロットになっている。
そして、どちらが正しいのかが問われる。
人望厚いヤブ医者と、ルーチンワークに堕した正規の医者。
そして、その判断を下すのは、警察なのか、村なのか、
その執行権のようなものの主体さえ「ゆれる」。
社会派ドラマではある、しかしこの組み立てはそれと関係ない。
同じ監督の他の監督の作品も、プロットゆえに観てみたい。
7.2.10
ドナースマルク『善き人のためのソナタ』、タルリ『明日、君がいない』
・フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク『善き人のためのソナタ』
東ドイツの作家たちと検閲を巡る人間ドラマで、
面白かった。
結末が秀逸。
・ムラーリ・クリシュナ・タルリ『明日、君がいない』
月並みの模倣を固有と信じて疑わないことが青春の醜悪さだと、
柄谷行人は初期評論で云っていたような気がする。
だが、青春に悩むべき主題は無数にあるし、
それを経てこその発達なのだろう。
原題は『2:37』。作品を観ないことには何もわからない定量。
どうして自殺したのが××なのか。
「悩み」が人生の主題ということ? 生きるための殻だということ?
でも、そんな一般論の逆説で片づくような映画ではない。
木々に縁取られた空を見上げてぐるぐる回るシーンは、
パゾリーニの『アポロンの地獄』(だと思うんだけど…)を思い起こさせた。
エリック・サティの『ジムノペディ』の繰り返しの閉塞感と相俟って、
問いは深い。
東ドイツの作家たちと検閲を巡る人間ドラマで、
面白かった。
結末が秀逸。
・ムラーリ・クリシュナ・タルリ『明日、君がいない』
月並みの模倣を固有と信じて疑わないことが青春の醜悪さだと、
柄谷行人は初期評論で云っていたような気がする。
だが、青春に悩むべき主題は無数にあるし、
それを経てこその発達なのだろう。
原題は『2:37』。作品を観ないことには何もわからない定量。
どうして自殺したのが××なのか。
「悩み」が人生の主題ということ? 生きるための殻だということ?
でも、そんな一般論の逆説で片づくような映画ではない。
木々に縁取られた空を見上げてぐるぐる回るシーンは、
パゾリーニの『アポロンの地獄』(だと思うんだけど…)を思い起こさせた。
エリック・サティの『ジムノペディ』の繰り返しの閉塞感と相俟って、
問いは深い。
塚本邦雄の三歌 戦後、過日、煌めき
(A)たまかぎる言はぬが花のそのむかし大日本は神国なり・き
(B)春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状
(C)あぢさゐに腐臭ただよひ、日本はかならず日本人がほろばす
Aについて:
枕詞「たまかぎる」は、玉のごとく麗しいこと限りない、の意味。
大日本=神国に係るのではなく、そのむかし、に係るのではないか。
そう読むと、あまりに保守的でもはやお伽話じみたノスタルジーだ。
だって、過去それ自体が好いもの、なのだから
(=「なのに最近の若い者は…」)。
過去の栄光の大日本。これが歌のベース、下地、となる。
そこに突きつけた「言わぬが花」と「・き」が現在のスタンスで、
歌の意をどう舵取らせているのか。
いや、むしろ、過去のベースから、現在にいる読み手が
どれだけ立ち位置を遠ざけているか、
ということで読み解いた方が良いように思う。
過去は現在に深く繋がっている。
戦後の経済発展を享受しながら、
過去を棚上げにして素知らぬ顔の平均的日本人が、
読み手の目の前にあるわけです。
その仮面を剥ぎ取り「じゃあ昔の日本はなんだったんだ?」と
問うたときの答えが、この一歌なんじゃなかろうか。
「・き」の中黒の空白の意味するところは?
哀愁の心地? 訣別?
Bについて:
夢=春の夜の夢ばかりに包まれていること
現実=春の夜の夢が永続しないこと、召集令状
「あかねさす」は「日」に係るが、ここで召集令状に係っていることで、
召集令状が夜明け(=現実)であると読める。
召集令状の赤色、さらには日章旗・旭日旗が透けて見える。
夜明けに赤紙を渡されて目覚める。戦後から戦中への逆戻り。
あり得ない時間の逆行を、この歌は提示しているのだ。
あかねさす召集令状は、果たして夢の続きなのか現なのか?
残念ながら現なのだ。向かう先は?
街頭の右翼の主張するような無謀な自滅を揶揄したいのか、
物質的にばかり豊かになってだらけた国に頬を張りたいのか?
Cについて:
「あぢさゐ」はアジサイ科の卯の花から「卯の花腐し」を連想させる。
むんむんとした五月雨の湿気の中で咲いて、咲いたまま腐敗する。
梅雨が過ぎて旭日が空に輝くとき、日本は蘇るのだ! みたいな感じ?
しかし、これは読み込みの一つだ。そこまで過激には歌われていない。
危うい感じだが、両手挙げての断言というより、鋭利な指摘、だ。
戦中の精神性、戦後の経済至上主義、両者の断絶としての戦争・戦後。
この三者の関係を歌った短歌を挙げてきた。この歌もそうだ。
面白いのは、「日本」をニッポン、「日本人」をニホンジンと読む相違。
大意に添えられた技巧ではあるが、精緻さを感じさせる。
(B)春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状
(C)あぢさゐに腐臭ただよひ、日本はかならず日本人がほろばす
Aについて:
枕詞「たまかぎる」は、玉のごとく麗しいこと限りない、の意味。
大日本=神国に係るのではなく、そのむかし、に係るのではないか。
そう読むと、あまりに保守的でもはやお伽話じみたノスタルジーだ。
だって、過去それ自体が好いもの、なのだから
(=「なのに最近の若い者は…」)。
過去の栄光の大日本。これが歌のベース、下地、となる。
そこに突きつけた「言わぬが花」と「・き」が現在のスタンスで、
歌の意をどう舵取らせているのか。
いや、むしろ、過去のベースから、現在にいる読み手が
どれだけ立ち位置を遠ざけているか、
ということで読み解いた方が良いように思う。
過去は現在に深く繋がっている。
戦後の経済発展を享受しながら、
過去を棚上げにして素知らぬ顔の平均的日本人が、
読み手の目の前にあるわけです。
その仮面を剥ぎ取り「じゃあ昔の日本はなんだったんだ?」と
問うたときの答えが、この一歌なんじゃなかろうか。
「・き」の中黒の空白の意味するところは?
哀愁の心地? 訣別?
Bについて:
夢=春の夜の夢ばかりに包まれていること
現実=春の夜の夢が永続しないこと、召集令状
「あかねさす」は「日」に係るが、ここで召集令状に係っていることで、
召集令状が夜明け(=現実)であると読める。
召集令状の赤色、さらには日章旗・旭日旗が透けて見える。
夜明けに赤紙を渡されて目覚める。戦後から戦中への逆戻り。
あり得ない時間の逆行を、この歌は提示しているのだ。
あかねさす召集令状は、果たして夢の続きなのか現なのか?
残念ながら現なのだ。向かう先は?
街頭の右翼の主張するような無謀な自滅を揶揄したいのか、
物質的にばかり豊かになってだらけた国に頬を張りたいのか?
Cについて:
「あぢさゐ」はアジサイ科の卯の花から「卯の花腐し」を連想させる。
むんむんとした五月雨の湿気の中で咲いて、咲いたまま腐敗する。
梅雨が過ぎて旭日が空に輝くとき、日本は蘇るのだ! みたいな感じ?
しかし、これは読み込みの一つだ。そこまで過激には歌われていない。
危うい感じだが、両手挙げての断言というより、鋭利な指摘、だ。
戦中の精神性、戦後の経済至上主義、両者の断絶としての戦争・戦後。
この三者の関係を歌った短歌を挙げてきた。この歌もそうだ。
面白いのは、「日本」をニッポン、「日本人」をニホンジンと読む相違。
大意に添えられた技巧ではあるが、精緻さを感じさせる。
6.2.10
円城塔「オブ・ザ・ベースボール」、ペドロ・アルモドバル『オール・アバウト・マイ・マザー』
・円城塔「オブ・ザ・ベースボール」
つまらなかった。でもそれは、
提示内容がそう見せかける必要があるから。……なのか?
これで複雑系ぶってもらっては困る、というのが正直なところ。
そのくせ現実を斜に構えて、
『ライ麦畑でつかまえて』をパロって見せる辺り、
何がしたいのかあまりよくわからない。
「俺たちはレスキュー・チームではなくて
ベースボール・チームではない」って、何回云うかね。
『ライ麦畑…』のお伽話から醒めさせたいだけのための小説?
難解、ではなくて、難解ぶってるし。
語りの衒学(での水増し?)、てな文体が、
かなり鬱陶しいものの、読みやすくて、せめてもの救い。
・ペドロ・アルモドバル「オール・アバウト・マイ・マザー」
映像が自然とカラフルな、南欧の感触が、久しぶりだ。
そして、ペネロペ・クルスが好いね。
男の名前エステバンほか、作中反復があちこちにあって、
だから粗筋にまとめられない、よい映画だった。
劇中劇でテネシー・ウィリアムズの未読作品が重要だったので、
図書館で借りてきた。
つまらなかった。でもそれは、
提示内容がそう見せかける必要があるから。……なのか?
これで複雑系ぶってもらっては困る、というのが正直なところ。
そのくせ現実を斜に構えて、
『ライ麦畑でつかまえて』をパロって見せる辺り、
何がしたいのかあまりよくわからない。
「俺たちはレスキュー・チームではなくて
ベースボール・チームではない」って、何回云うかね。
『ライ麦畑…』のお伽話から醒めさせたいだけのための小説?
難解、ではなくて、難解ぶってるし。
語りの衒学(での水増し?)、てな文体が、
かなり鬱陶しいものの、読みやすくて、せめてもの救い。
・ペドロ・アルモドバル「オール・アバウト・マイ・マザー」
映像が自然とカラフルな、南欧の感触が、久しぶりだ。
そして、ペネロペ・クルスが好いね。
男の名前エステバンほか、作中反復があちこちにあって、
だから粗筋にまとめられない、よい映画だった。
劇中劇でテネシー・ウィリアムズの未読作品が重要だったので、
図書館で借りてきた。
1.2.10
田中慎弥「図書準備室」、澁澤龍彦『初期小説集』
田中慎弥「図書準備室」
中篇としてそつがない、とでも云おうか…。
何が書きたかったんだろう。
何かを信じることと、全く逃げ続けることの、両極端?
小説で○○を書こう、ではなく、小説書こう、という意図でできた、
みたいな、そんな作品。
妙につるんとしてて、面白さのスパイス的なものがなかった。
澁澤龍彦『初期小説集』
博識の独白のような文体と、夥しい情報量、
これらに覆い隠されるようにして、
時間経緯の欠如があるのを、感じた。
日常にピン留めされない、祭じみた、あるいは寓話じみた時間が流れる。
それはいいとして…やはり面白い。
「陽物神譚」は、横尾忠則のような原色のキャンバスに
中世の陰陽をちりばめて夜にしたような、すばらしい短篇だった。
中篇としてそつがない、とでも云おうか…。
何が書きたかったんだろう。
何かを信じることと、全く逃げ続けることの、両極端?
小説で○○を書こう、ではなく、小説書こう、という意図でできた、
みたいな、そんな作品。
妙につるんとしてて、面白さのスパイス的なものがなかった。
澁澤龍彦『初期小説集』
博識の独白のような文体と、夥しい情報量、
これらに覆い隠されるようにして、
時間経緯の欠如があるのを、感じた。
日常にピン留めされない、祭じみた、あるいは寓話じみた時間が流れる。
それはいいとして…やはり面白い。
「陽物神譚」は、横尾忠則のような原色のキャンバスに
中世の陰陽をちりばめて夜にしたような、すばらしい短篇だった。
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